肩を動かさないのに、動かそうとだけしてみてください。
動く一歩手前まで意識をする訳です。筋肉は使っていないですが、意識が集まってくることを実感できると思います。
この瞬間に思いと感覚が一致してきます。思いだけでは動かしたという感覚を起こしていないはずですが、動かしている手前の実感が起こってきます。 思いが最大限になった状態です。
五十肩の運動は、それで十分なんじゃないかとすら思います。肩関節を僅かでも動かすと痛みが出るので、動かさない。 動かさないけど、動かそうとだけする。
それで十分な運動になると思います。
それは思いなのか、動いているという実感なのか曖昧な感覚です。思いと実感の中間みたいな状態だと思います。 思いから運動になる瞬間を詳細に感じ意識する訳です。
思いがなければ運動はありえません。 運動する為には思いが必要ですが、思っているだけでは実行にはなりません。しかし、思いが爆発しそうな状態にまで達した時に身体が動く訳です。
この瞬間を感覚で捉えていきます。 歩行時に、そんなことを考えて歩行している人はいないと思いますが、現実的には、思いが伝わって身体を動かしている訳ですから、誰しも同じことを繰り返して身体を使っているはずです。
早い動きだとそれが全くわからないということです。
自分自身の身体に意識を向ければ、思いと動きの入れ替わりの瞬間がわかります。
思いがエネルギーとなって実際を作った状態と言えます。動かそうとするエネルギーが充満してきたという認識と実際に動いた時の認識にも違いがあります。
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