分析がすめば、それに基づいて意識をします。
意識は純粋で新鮮なものの方が効果的です。より雑味のない意識が重要なのですが、どうしても雑味ができてしまいます。
意識を雑味という味に例える事は本来おかしな話しかもわかりませんが、味という言葉を使った方が感覚的には当てはまっているような気がします。
知識や経験は味の一つであり、その味が雑味となって純粋なものではなくなってしまいます。 初心者でも雑味のない意識をもっていれば、やり方が少々まずくても確実に効果を出すことができます。
釣りでは、ビギナーズラックという言葉をよく使いますが、初心者でそういう経験をしたことをベテランは忘れてしまっていたりします。
しかし、この純粋な意識は、知識や経験が増えてくると出来そうで出来ないようになってきます。意識の純粋さというのは、この雑味を究極的に取り除く作業が必要です。それさえできれば、実際には触れなくても効果が出る場合があります。
もちろん、確認が重要ですので、分析は欠かせません。 こういう経験を積んでくると、本当にやり方で変化するのか?
と疑う気持ちもわかってもらえると思います。しかし、こればかりは、そういう経験をしていないと再現してみようとすらしないので、最初からできないと思ってしまいます。
常識というのは、そういう枠の中に嵌まっているもののことです。
そこがまた手技療法の面白いところといえば面白いところなのです。
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