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力を入れ続けると

力を抜く練習

力を入れろと命令し手をあげて下ろす。力を抜けと命令して上げた手を下ろす。同じ運動ですが疲れが違います。下げることに意識を向けた運動は疲れが違います。これが力を抜く力です。思うだけです。難しいことではありません。一番重要なことは力を抜く力を使っていると疲れが少ないということです。入れることと抜くことのバランスがとれているからです。精神的な疲れが非常に少なくなります。力を入れろと命令した時は疲れが積み上がっていきます。力を抜けと命令した時は、疲れが積み上がっていかない。力を抜くと意識した場合は、ゼロに戻りやすいからです。ゼロに近づいて再スタートできるからですね。力を入れる練習ばかりしていると力を抜けなくなってしまいます。ウェイトトレーニングはその最も顕著な例です。力を入れろ!!入れろ!!最大限まで入れろ!!と筋肉を破壊し続けます。同じことをしても力を抜け最大限まで抜け!!と命令すれば一度ゼロに近づくことができます。筋肉は太くならなくても能力は高くなるでしょう。総合的に筋力がアップします。ゼロに戻る訳ですからね。力を入れる!!入れる!!は疲れをためます。入れた力を抜く。素早く抜く。素早くゼロにする練習をする訳です。ゼロからスタートならゼロから100まで力が出し切ることができます。しかし、力を入れろ。入れろ。と命令し続けていると元に戻っているつもりでも30%ぐらいしか元に戻らなくなります。つまり30%から100%に行ったとしても70%の力しか出せてないことになります。それじゃ~本来の筋肉を使ったことにはなりませんよね。だから破壊するんです。仕事も何もかも同じことが言えます。頑張れ!頑張れ!は蓄積させます。頑張ってから力を抜く頑張らない。努力しない。力を抜くと思いながら仕事する。そうすればゼロに近づく。つまり力が出るようになる。これで力の均衡が保てます。頑張り過ぎているから緊張しているだけです。でもどこを頑張っているのか気づいてない。肩の凝りも足が頑張っているから起こっている可能性もありますよ。それは全身を意識する必要があります。それに注意を向ける必要があります。難しくはありません。頑張ることが普通なだけです。ああ~手放せばいいのかと理解してしまえば簡単なことです。

下げろと命令してみる

手をあげてみてください。その手をさげてみてください。その時に下げろと命令してあげてください。どんな感じでしたか?覚えておいてください。次にあげろと命令してください。そして降ろしてください。あげろ!あげろ!と命令する訳です。さぁ~どんな感じがします?動作はほぼ同じことをやってます。でも疲れに違いがでたのではないかと思います。そうなんです。私達の身体は運動量以外に精神を使って筋肉を使っているということに気づかなければなりません。もし、それに気づいていないとしたら、長距離走はできません。マラソンは嫌いですし、なぜはしらなあかんの?って思うぐらい疑問にも思ってます。若い時は良く走りましたが・・・(^^;でもその人の運動能力以外に駆け引きをしながら走っているのがマラソンですよね。精神的なことでタイムに大きな差がでることも選手達は良く知ってます。速く走らないと!!って言う思いを持っただけの選手と力を抜くところでは力を抜くと思いながら走れる選手とは根本的に違いがあると思います。専門的なことはわかりませんので正確ではないかも知れませんが・・・。(笑)レースの上手い選手は力を抜くのが上手いと思います。緊張しっぱなしじゃない。力を抜くことを知っています。これと同じことが私達の運動にも共通していえます。入れたら抜く。力を入れたら抜く必要がある訳です。

力を抜く

なんどもこのことについては書いてます。でも力を抜くことは難しい。なぜでしょう?それは力を入れているからです。(笑)例えば手をあげる運動をしなさいと言われたとします。心の中ではどんなふうに命令しますか?手をあげろ!!手をあげろ!!と命令するはずです。これはあきらかに力を抜くことにはなりません。ここで考えて欲しいのが上げた手を下げろとは命令していないということです。これものすご~く重要です。あげろとは命令しても下げろとは命令していません。上げた手を下げろとは命令していなくても次にあげる為に無意識に下げますよね。それでホントに正しいですか?運動として成立してますか?運動が片寄ってません?手を上げたのなら手を下げろと命令してあげなきゃ駄目なんじゃないですか?ここがスポーツを行う最も注意すべき点です。上げた訳ですからさげやな!!つまり下げろと命令してあげないと下がらなくなってくるということです。最初に書いたように力が何故抜けないかに対して力を入れているからです。と答えました。常に上げろ!!上げろ!!なんですよね。これしか命令してないんですよね。上げたものは下がらなきゃ次に上げられません。だったら下げろが命令不足になっていると思いません?これは運動の盲点です。

術後の後遺症

足の手術をしたりすると反対側の足でかばってしまいますよね。それ自体は不思議なことでもなんでもないはずです。ただ、かばい過ぎて健側に痛みがでたりします。これって意外に治らないことが多いんですよね。かばいながらだからとか考えがちになってしまいますが、問題が違うから治らない訳です。手術をした側の足はなんとか動くようになったけど反対側の下腿が突っ張って痛い。足の磁気的性質を利用して診断してみると痛みのある場所には全く問題ない訳です。ただ足でも腸骨付近に問題がありました。そりゃ~痛みは良くなりませんよね。足の磁石で調べないとわからない例でした。手の磁石では全くわかりません。足の磁気的性質を利用しないとわからない。以前も投稿したように手足には特有の磁気的性質があります。突起のある部分はそれぞれの磁気的性質があり、それと共鳴する異常がでていたりします。頭に足の磁石と共鳴する部分があったりします。あきらかに異常です。でも手の磁石では反応しません。足の磁石を利用すると脉診もできます。しかも一種類じゃない。深さも診断できます。気水血と対応した経絡、奇経、経別の深さで脈を診ることができます。それらの複雑な診断を経て調整するとスムーズに歩けるようになってました。やっぱり磁気的診断と脉診って凄い効果あるんだなと思います。でもそんな診断をするためには筋力検査の基礎をやらないとできない。できたとしても頑張ってやるともの凄く疲れるんです。もの凄く疲れます。術者自身の身体を変えていかないと駄目なんですよね。これがなかなかやっかい。これが基礎です。一筋縄ではいかない。

許されない社会

年をとると楽しいことがたくさんあるということを以前お話したことがあると思います。 結構あの投稿で楽しんでくれた人も多かったみたいです。年甲斐もなくということで楽しんでいるということもお話ししました。 でも誤解があります。楽しいことだけをするということは、 実はとても苦しいことです。 ここを勘違いしている人が多すぎる。楽しいことだけを考えていると、世間から白い目で見られます。嫌味も言われます。年甲斐もなくという言葉もそのうちの一つです。ええよな~楽しいことだけ考えられて~。というのも嫌みの一つです。実家の近所の人ですが、私の治療法を見てなめとんのか~って直接言われたこともあります。ホントに酷い言葉で言われました。実はそれを言われてとても嬉しかったんです。あんな方法では絶対にうまいこといかん!!やめとけって言われました。お酒の席でしたが、私にとってはとても有り難いお言葉でした。とても正直な方だったので、その人が正しいな~ってその時思ってました。若い時ですから何も結果を残せてないし、誰もこんな方法やっている人いないし・・・。直接教えてくれるような師匠はいませんでしたからね。ものすご~く不安な気持ちで日々生活していたのを覚えてます。不安な上にそんな正論言われたら、その通りで御座います。と思わない訳にはいきません。世の中はバブルな時期です。みんな浮かれてた時代ですからね。既存の方法を捨て全部自分で考えなきゃ駄目でした。それって相当なストレスなんですけど・・・。でもよく考えたら、その有り難い助言をしてくれた人って楽しんでなかったみたいです。お酒飲みに行って酔っぱらったりすることが楽しいことだと勘違いしていた人みたいでした。自分が何かを背負って頑張っていると錯覚している人。 頑張らなければならない。何々をすべきである。 という気持ちで仕事をしているとても優秀な人だったのだと思います。
 そういう人って心から尊敬します。そんな人から言わせれば私は劣等生です。現在大企業では、10人に1人から2人はうつ症状を抱えてると言われています。 そんなバカなと思ったりしますが、どうも事実のようです。 楽しくないと思うことをずっとやらされているからかな~。 もし本当に楽しんでいるとするならば、人の事をとやかく言うでしょうか? 自分が楽しいわけですから、人のことをとやかく言う暇はもったいないと思うのが普通です。事実私がそうでしたからね。好き嫌いに対して深く考えることがあります。 環境や経験とは無関係に好き嫌いというのはあります。 いわゆる真我というものです。 好きに意味はないし、嫌いにも意味はない。その真我に逆らって生きて意味があるのか?といつも問いただしていました。好きなことをして生きていきたいというのは、人間の最も原始的な欲望なのです。 その原始的な欲望をなるべく忘れるようにした結果、うつ症状が出るのではないかと思います。 好きなことをしているとご飯食べるの忘れたりしますよね。もしかすると好きなことをするのは、生きていく為に必要な食事や睡眠より上なのかもわかりません。この原始的な欲望を無視するためには感覚を鈍麻にする必要があります。感覚を鈍麻にして行った結果、神経が混乱を起こしてうつ症状になるのではないでしょうか? つまり、うつ症状を治すのに効果的な方法は、感覚を元に戻すことではないかと思います。
 感覚を元に戻して、感覚に従って生きるということではないかと思います。感覚を元に戻すためにはこの原始的な欲望を無視しないことが必要になるのではないでしょうか? それは簡単なことではありません。 つまり楽しいことをやり続けるということは簡単なことではないのです。人の言うことを聞いてばかりいると自分で考えなくなります。思考停止です。失敗を恐れて新しいことに踏み込めない。失敗することって、ものすご~く勇気がいります。理想主義と言われたりもしますよ。世間の目は好きなことをやっている人にもの凄く冷たいですからね。あの電通の事件でもわかるようにそこまで重労働をさせられてなぜ辞めなかったのか? って普通の人は思いますよね。 しかし、やめられないんですよね。 なぜやめられないのでしょう? せっかく入った一流企業をやめて肩書きを捨てることがどういう意味を持っているかを想像して辞められなかったのかなぁ~? 本当の理由は私にはわかりませんが・・・。でもあそこまで働き続けたらやっぱり嫌になりますよ~。人の言うこと聞きなさいと言います。しかし、人は人の為を思って言っている訳ではありませんよ。自分ではよく考えた訳でもないのに誰かの話を聞いて想像の話しを人におしつけてくるだけの場合も多いです。思考停止しなさいと命令している訳です。そんな人のことを聞いて良くなるはずがありません。私はそのことを若い時に私に助言してくれた方から深く学びました。まあ、言われても絶対にやめようとなんて考えたこともありません。だって、もの凄く不安で苦しかったし、うまくもいってなかったけど、もの凄く楽しかった訳ですからね。不安だから悪い訳じゃない。それ以上に楽しかったら不安も楽しみに変えられます。不安だから普通の方法を行う道もありましたよ。でも絶対にそうしない!!それだけは強く思ってました。それをしたらおしまいです。一から自分で考えて思考停止だけはしないってね。今でも居酒屋で言われた時のワンシーンは思い出せますし、壁に貼ってあったメニューも思い出せます。誰も本当の自分を理解しようとはしてくれません。それが世間だと思います。 殆どの場合、理想をおしつけられているだけですからね。最初から本当の自分を理解してもらおうなどと思わなければ良い訳です。理解されようとせずに自分の道を進めば良いと思うのです。その人に今の私の状態を見せても同じことが言えるかどうか知りたいですね。きっと言わないでしょう。儀礼的には良く頑張ったな。なんておべんちゃらいうんでしょうね。あの時はやめろと言ったでしょ?忘れましたか?まああれから会ってないのでわかりませんし、興味もありません。世間ってそんなものだと思います。それなら楽しんだものが勝ちです。なぜ楽しまないのか?楽しむ勇気を持てなくて苦しんでる人がこの世の中にはたくさんいるのだと思います。
 大なり小なり電通の方と構造は同じです。その症状で病気になって、病院に行ったところで正しい答えが見つかると思いますか? 原因が違うわけですから治せるはずがありません。 それを無理やり社会に適応させようとしたために処方される薬が抗うつ剤です。   簡単に抗うつ薬を処方され飲んで元気になると思いますか?そんな馬鹿な・・・。でもそれが今の現代科学、エビデンスから導き出されたものだと大半の人が誤解しています。本当でしょうか?と疑問を持つことすら社会は許してくれません。だから科学的でない方法を徹底的に排除したりしようとする訳です。その方が支配しやすいですからね。その事に気づかないようにさせられていることすら気づかない。だからインフルエンザになったら抗ウィルス剤になってしまうのです。感染をひろげないため?そんなの飲んでも感染しますよ。普通に考えたら誰でもわかります。思考停止社会にしたいと思っているのは今も昔も変わりません。思考停止した人の方が社会的に上だったりするんですよね。その人達が支配している。だから楽しんでいる人をええよな~。年甲斐もなく・・・。って言う訳です。見た目の支配者だけが支配している訳ではありませんよ。ええよな~って言っているあなたが支配している側なのです。そのことに気づかない。自分は支配されていると思っていながら支配する側にまわっているのに気づいていない。今からでも遅くない。そのことに気づいていこうとするだけで世界が大きく変わります。怖いことだと思いませんか?思考停止。こわ~。

なぜほんの少しなのか?

関節を動かすのに何故ホンの少ししか動かさないのか?っていうことにお答えします。これって完全に精神的なことなんです。自分の身体に意識をむけることを覚えてもらった人が正月でバタバタしたら意識がとんでしまった。という人がいました。これもの凄く問題なんです。何度も言いますが強く早く動かすことは、身体にとって負荷になります。身体に負荷をかけるとき精神はやりたくないな~。って思う訳です。あとで楽になるってわかっていても気持ちの腰が重い訳ですよね。その腰をあげないと話しになりません。どうやって腰をあげるのか?一気にやろうと思うから腰があげにくい訳です。だから少ししか動かさない。運動を やらなければ  っていう思いでやっている人はホントに精神を使い果たしてしまって、精神が疲労していることに気づかなくなります。一生懸命やっていたのに急にやりたくなくなる。そういう弊害がでてしまう訳です。そうじゃなく、最初は小さくゆっくり動かせばしんどくない。または思い出すぐらいの精神の使い方にしてみてください。決して頑張らない。毎日のことですから、毎日少し思う。それだけにする。その癖をつける訳です。とにかくしんどいとちょっとでも思ったら絶対に長続きしません。長続きしないどころか必ず精神が疲労して身体が硬直して、動きを止めてしまいます。だから怪我します。毎日散歩していたら足が痛くなってきた。なんてのもやりたくないな~という思いのあらわれです。ほんのちょっとでもしんどいとか嫌なことと思ったら絶対にやめた方がいい。運動ってそういうものです。無理をしてやることじゃない。楽しんでやらないとつまらない。皆さんは0か1のどちらかしか選択枝を持っていません。やるかやらないかです。そのどちらでもないという選択枝をもっていません。いつも0か1なんです。だから少ししか動かさないという負荷をかけてみる訳です。強い負荷じゃなく弱い負荷がそれを強固なものに変えてくれます。できるかできないかじゃないのです。楽しむか楽しまないかです。楽しんでれば絶対にやめません。楽しくないから、楽しむ工夫をしていないからやめてしまう訳です。だからゆっくり小さく動かす訳です。思うだけでも良いのです。ただそれだけです。

昔の映画

wowowで昔の映画をやってました。デイライトというスタローン主演の映画です。昔に見た記憶があるのですが、完全に忘れてました。映画の中に出てくるハイテク機器を見ているとホントにその時代を反映しているなって思うことが多々あります。子供がビデオカメラで撮影するシーンがあるのですが、頭ほどの大きさのカメラでした。重いけどそれはそれで使い勝手が良かったような気がしてます。携帯電話も普及してない時代です。電話は留守番電話が主役です。それでもインターネットは普及しはじめた頃ですしね。その頃、私はNEC製のPC使ってました。グーグル自体が影も形もない。グーグルの創業は1998年ですから凄い成長ですよね。今やグーグルのない世の中って考えにくいのではないかと思います。ビデオカメラはソニー製です。まだ日本の機器が映画でもバンバンでてきた時代です。映画はそういう物を反映しています。今は中国人が沢山でてくるし・・・。たった20年でこんなに世の中が変化するとは思いませんでした。きっとあと10年たったら自動車も電気になって、日本の機器が全く映画から消える時代がくるのかもわかりませんね。それ以上にもっと世の中が大きな変化をしている可能性がありますね。想像もつかないです。今までの常識が常識でなくなっている時代になっているかもわかりません。これまでの20年とこれからの10年は全く違うスピードになるでしょうね。昔の映画を見てそれを強く感じてしまいました。

昔からの習慣

私は学生の時に腰痛を起こして、それを治してから一つの習慣があります。 それはトイレに入った時に必ず自分の足の位置を確認することです。それがもし崩れていれば必ず修正するようにして用を足します。もうかれこれ40年近くになるんだなと思うと継続は力なりなのかもしれません。 長年続けていると何も考えなくてもトイレに立った時、足を置くとタイルの目地にまっすぐ立っている自分に気づきます。 酔っ払っていても必ず同じ位置になっています。自分の体に注意を向けるということは日々自分自身を進化させているっていうことです。 何も毎日筋肉を鍛えるようなトレーニングすることだけがトレーニングではありません。 ちょっとした意識の使い方によって自分自身をトレーニングすることは可能なのです。 私も最初は全くできずに片方の足を後ろに引いてしまっていたり爪先が外側になっていました。 その度にしつこく修正するわけです。そしてその修正してから、この位置がまっすぐの位置だよと体に教え込みます。 やはり体調の悪い時は足を引いたりつま先が外側になってるのを確認することができます。 本当にちょっとしたことですが、自分自身に意識を向けるということはとても大事なことだと思っています。 こういうトレーニングを日々続けていますので、患者さんにも自分自身の体にちょっと注意を向けてもらう方法を指導させてもらっています。 それは自分のトラブルは自分で解決して欲しいという願いからです。あきらかに治療の収入にはつながりません。きっと減収になっているでしょうね。(^^;本当にわずかな刺激、本当にわずかな動き、100歳の人でもできる動きを心がけて、その人に合う方法を提示しています。 たぶんこの習慣だけは一生続けていけるだろうという習慣を作ることはとても大事です。 私の場合、あまりにもつらかった腰痛の自分自身への戒めとして未だに行っています。 本当にたったそれだけのことなのです。それだけでも人間の体は大きく変わり、常にリセットされます。だから痛みがなくなったら終わりとは思わない。 そのような方法を教えて実行された方は、本当に結果を出しているんです。 逆に言えば結果がでないはずがありません。MBR法の記事を読んで遠方から治療に来ていただいた方もきっと自分の能力に驚かれて来られたのだと思います。 これらは全て自分の能力です。方法論は少し授けましたが、やるかやらないかは自分自身だけなのです。 そのことに気づいてちょっと意識を自分に向けていただくだけで体が大きく変わってしまう。そんなことをもっともっとたくさんの人に経験していただきたいなといつも思っています。 一般の勉強会はそういう応用の方法だから優しく解説します。専門家の勉強会はテレビのスイッチを押すとどのような仕組みでテレビがつくのかを教えます。専門性という意味では全く違います。それさえわかれば応用なんて無限大。専門家にこの違いがわからないのは方法論しか学んでこなかったからです。悲しい教育方法です。だから様々な勉強会にでて結局なんにもならなかったことに気づく訳です。

何もしていないのに骨が損傷している?

別に外傷はないのにも関わらずレントゲンを撮ると骨に損傷があると言うことが時々あります。 このような現象を聞いて一般の人はどういう風に感じるのでしょうか? 骨が勝手に損傷しているのだから骨が相当弱っているのではないか? って考えるのでしょうか? このような場合病院に行くと年齢だからとか、骨が弱っているからだというような説明をうけるかもわかりません。 しかし、それは違うでしょ。身体を触わればわかります。 そういう人の骨の周囲の筋肉は、異常なほど緊張しています。 これほどまでに緊張していれば普通に動かしているだけでも骨に直接ダメージが行くのは間違いないだろうなと思います。 金属疲労のような形で徐々に骨に破壊が起こっても不思議じゃないだろうなと考えます。 後先が逆なんですよね。それではなぜ筋肉の緊張が起こったのでしょうか? 誰がその緊張を起こさせたのでしょうか? それは患者さん本人が起こさせたのに間違いないですよね。 長年の習慣であったりとか、同じ作業の繰り返しであるかもしれません。 感情の使い方でもそうなります。これ大事です。同じような習慣を持っているような人でも同じような現象が起こりません。 つまり何かその人にとって特別な理由があるはずです。 その局所の周囲には必ずと言っていいほど痛みが起こります。 痛みがあるので病院に行ってレントゲンを撮ってもらって骨に損傷がありますよと言われた訳です。だから痛いと説明を受ける。 だから骨が原因になってしまう訳です。原因と結果が違うでしょ。私たちの心が脳に命令して筋肉を緊張させたり弛緩させたりします。  なぜそのような筋肉の緊張を起こさせるような信号が心から脳に発せられたのでしょうか? ここが一番の治療のポイントになると思います。 治療のポイントというより患者さんに気づいてもらうポイントになります。そこの部分に焦点をあてて解放しなければ決して痛みを完治させることはできません。 そんな風に考えるのが根本的な治療だと思います。 筋肉の緊張だけを緩めようとするのは根本的な治療ではありません。 それでは心から脳に命令が行くところで異常を起こしているのか脳から筋肉に行く途中で異常起こしているのか? そのような診断も必要ですよね。 しかし、そんな機能的な診断をすることは今の科学で不可能です。 それを感じ取れるのは人間の五感でしかありません。それならば五感を鍛える必要があるわけです。 だから筋力検査法にしかそれを解明する手だてはないと言える訳です。