思い込みは力2

例えば、ガンにこの薬が効いた。小さくなった。でも、それがガンの人全てには効きません。

それなら、その人には効果があったけど、他人にはわからないという立場をとるのが良心的ですが、これを確率論だけで考えることの弊害は少なからずあります。


70%の人に効果があった(とされている)薬と40%の効果しか認められていないと言われたら、誰が40%の薬を選びますか? 

真実は、40%の薬の方が効いたかも知れないのです。それは誰もわかりません。

そういう考え方を少しでも持つ先生とそうでない先生では、大きな違いがあるように思えます。


40%の薬の方が効く体質の人が、70%の薬を飲み続けて副作用がでて体力が落ちてしまったら、後から40%の薬を投与しても、効果が出ない可能性もあります。そうすると70%の薬を飲んでいた期間は単なる数字による思い込みだったということになると思います。


へそ曲がりな発想なのは十分理解していますが、本当に現場における治療というのは一期一会なのだと思います。 70%の効果があったとされる薬でも、どれぐらいの生存率で、どれぐらいの副作用があり、生活水準がどれだけ落ちるのかを考えると更に不確定要素は一杯あります。現場は常に手探りです。しかし、数字がでていると人は、その数字で物事を判断してしまい、そのことに疑問を持つこともありません。余計なことを考えないですむのですからね。数字に自分の人生を委ねてしまって良いのか?

という疑問すら持たない訳です。


平均値を求める医療は本当に私達を幸せにするでしょうか? 

統計ででているから本当に正しいのでしょうか? 


確率が高い訳ですから、それが間違っているとは言いませんが、その確率には、疑問を持つことも大事だということです。 人生で、もし、あの時こうしていたら、自分の人生は変わっていたかもわからないと空想することは自由ですが、そうしなかったのは自分なので、それを取り戻すことは絶対に不可能です。そこで重要なことは、直感や肌感覚なのではないかと思いますが、それを言うと宗教的だとか言われる訳です。そんなことを言われるのが嫌だから、その他大勢と一緒にしているという人もいるでしょう。でも、それって自分で生きているという感覚を得られるでしょうか?


肌感覚と統計は、大きく違う場合もあります。また、この薬の方が効くとわかっていても制度的に処方できないこともあると聞きます。本当にそれで良いのかどうか?

大きな疑問です。否定しているのではなく、それに疑問を持つことは重要です。

ちょっと例が極端すぎましたが、病気の話しだけでなく、日常生活では必ずそういう曲面に出会うことがあると思います。


患者としては、例え肩凝りや腰痛であったとしても、そういう感覚を持っている先生に見てもらえているのか、数字だけで押し切る先生なのかは、行ってみないとわかりません。受診するのも賭けみたいなところがあると思います。あの先生は良い先生だという噂だけでは判断できない何かがあるので、そういう先生に出会えるのかどうかは、「縁」としか思えない。

宗教的なことを言っている訳ではなく、何かが後押ししているとしか思えないというような経験をすることが沢山ある訳です。人は、それを感じながら生きている。それが人間の社会生活なのだと思います。


その人の持つ魂の思いが何かを引きつけているのではないかとも思えます。やっぱり最後は自分がどうしたいのかなのではないかなぁ~。

と思います。そして、それは頭だけでは判断できません。直感も含めて、知らず知らずに行動しているようにも思えます。そういうのを観察していると人って実に面白い。

そして、真実とは何か?

という疑問にも直結する訳です。


御薗治療院

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