穴には高さがある。

正常な経絡では、肘から先、膝から先は、深さが均一になっているように感じられます。

つまり、肘から先は、ある程度つながりを全体的に確認しやすいということです。しかし、異常になってくると、肘から先、膝から先でも深度に変化が起こります。


例えば大腸経を触っても、手首に異常を起こしている人の場合、LI6(偏歴)やLI5(陽谿)には異常が認めらやすいですが、LI11(曲池)やLI10(手三里)は、反応が薄くなっています。正常なら、LI6(偏歴)もLI10(手三里)も同じような感覚で触れるはずですが、経絡が均一になってないということです。

異常を起こすと幅や走行だけでなく、深度も変化してきます。また異常関節では蛇行することが多くなり、経絡、奇経、経別の区別がハッキリわかれてきます。正常経絡では、経絡、奇経、経別の区別がつきにくい程近づいて存在しています。つまり幅も深度も、あまり違わないということです。


経絡を触る練習をするのに左手首の大腸経はもってこいの場所だと思います。変化の違いを感じられやすく、その感覚を基準にすれば、他の経絡上でも異常経絡と正常経絡の差を感じることができるようになってきます。


経絡を触るコツは思い込みを正しく行うことです。経絡は存在するという思い込みをしっかり行うことで明確な反応が出現してきます。わからない人は、わかる人に、その場で見せてもらうとわかりやすくなります。


全く非科学的ですね。しかし、その思い込みが、身体に変化を与えます。東洋医学をやっているのに、思い込みを操作できない人は一生、経絡や穴の存在を認識することはできません。

客観的に見ようとすることは、とても大事なことですが、人の身体は、思い込むことによって変化し、その思い込んだ中のシステムで変化しようとするのです。個人の差というのは、この思い込みをしっかり認識していないと謎が解けない。だから、主観を排除して客観だけで科学的に考えると確率論になってしまうのだと思います。


キチンと正しく思い込んで、その反応を出せば、主観的には普遍的なものになってきます。西洋医学が根付きすぎて、思想的な問題をおろそかにし過ぎた為に主観の重要性をないがしろにし過ぎたのではないかと思います。

人間は主観の生き物です。それを排除したところで問題を解決することはできません。平均的な数字だけが一人歩きして、平均点マジックという幻想を作っているようにも思えます。これも思い込みなのですが・・・。

どれだけ客観的に物事を見ようとしても、完全な客観はありえません。そのことをしっかり理解した人でないと、そもそも経絡を認識することはできません。


経絡や穴というのは、思想や哲学の上に成り立っているものなのかもわかりませんね。きっと宗教観によっても大きな違いがあるのではないかとも思います。


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