全身という疑問

よく東洋医学では全体の調整をすると言うことが言われますが、そもそも全身とは何か?

なにをもって全身としているのか?

一つの塊としての肉体のことか?

全身を調整すると言うことなのに、穴という部分を刺激するのはどういうことか?


これも疑問です。


一般的には全身を観察した結果、何かが特異的であり、その特異的な部分に対応する刺激を行った結果起こる変化なんじゃないかと思います。しかし、これは本当の意味での全身の治療とは言えず、肉体的バランスをとっただけだとも言えます。

肉体的バランスをとる為には全身をくまなく観察する能力を持っていなくてはなりません。まず、その中から取捨選択する必要があります。それは、かなりの時間と手間がかかるのではないかと思います。


どのようにして全体を調整しているのか?

の前に、疑問としては何をもって全身としたか?

ということですね。


東洋医学をやっている人は全身、全身と言いますが、その術者にとっての全身とは何かを明確にしていないことが大きな問題です。これが個別に違う可能性があります。


本来の全体の治療とは肉体そのものを一つと考えて、その塊全体に一つの刺激を行ったということだろうと思います。太極治療と言う言葉を使う人もいますが、その内容とは意外にも背部や腹部に何カ所も鍼を打っている場合もあります。それは太極治療とは言わないのでは?

というような疑問があります。

まぁ屁理屈を言えば、かなりへそ曲がりな見方はできる訳です。しかし、そういう屁理屈を考えてないと曖昧になって統一されないものになってしまいます。


全体なら刺激は全身に行うべきなのでは?

一塊りになったものが全身だとするなら、特定の穴を使うのはおかしいと考えられます。全身の調整ですからね。そうとう屁理屈なのですが、感覚の世界ですから定義が曖昧だと妥当性がないということになります。


脉診を行ってバランスの悪いところを目標にして治療をするから全身の治療だと言うのも私から言えば詭弁な気がします。なぜなら、橈骨動脈拍動部が全身の脈をあらわしていると誰が決めたのか?

その定義も曖昧なままでは、判断しかねるということです。

きっと、脉診の追試が難しいとされるのは、このような前提が曖昧だからではないかと思います。

そもそも、そんなことすら考えたことがないのに全身の治療というのは、どう考えてもおかしいと言えます。





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