私のブログが最近、文章ばかりで面白くないと感じている人も多いかもわかりません。
しかし、立つこと、座ること自体が身体の学びの原点であり、それをさせているのは精神だと知って欲しいからです。学問は難しいことを勉強することではありません。
学びと一口に言っても果てしなく続きます。
わかっていること、わかっていないこと様々あります。しかし、一番わかっていなければならないのは、わかっていると思い込んでいることです。
解剖学では、どんな骨が身体を支えているかわかっています。 大腿骨や脛骨、腓骨、足の骨もわかっています。しかし、何故、立てているのかはわかっているようでわかっていないように思います。
更に歩行は疑問だらけです。
人類は、何故、不安定な二足歩行になったのか?
この疑問だけでも殆どわかてません。もちろん、仮設は一杯あります。あくまでも仮設です。
それを仮設だと思えるかどうかが学びの重要なポイントです。
殆どの人は、偉い学者が言っている仮設を信じ込んでしまいます。それを知識にしています。そして子供に教えます。
「だからこうなんだよ」
もっともらしいです。しかし、それは本当か?
とは疑ってない。
ここで学びを止めています。これは学びではなく記憶です。コンピューターにでもできることです。
まずは、歩行を分解して考えてみると感じます。
真っ直ぐ立って歩き出す時に、右足からあげるとします。この時には左足に体重をのせないと右足はあがりません。
あげれなくもないかもわかりませんが、そんなことすれば右横に倒れてしまいます。 左に体重をかけるということは、右足をあげる予備動作です。歩行をする前にこの動作ができなくてはなりません。
そして綺麗に歩行をしようと思えば、この予備動作が左右とも綺麗にできなければなりません。二足歩行ロボットの膝が曲がっているのは、この予備動作をするという発想がないか、それをするのが難しいからです。だから腰が痛い人のような歩行になってしまいます。
膝に大きな負荷がかかっているのは明白ですが、人間はそんなふうに歩いていません。二足歩行を再現するのは非常に難しいということです。
逆に言えば、これが腰や膝、足首を傷めた人のヒントになるということです。
一歩前に足を出すだけでもエネルギーを消費してしまうから治らない。と考えたら、それをさせないようにしなければなりません。
それだけでも何をすれば良いかがわかるということです。学びは出来上がったものを学ぶより、今どうなっているかを学ぶ方が難しいし、驚きがあります。
誰でも今できることです。
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