日本だけでも小さい流派を言えば数は計り知れないでしょう。
システムの違いだけなのに、それに気づかず、自分の流派は凄いとだけ豪語する人がいます。
確かにその方法は凄くても、状態の分析や刺激の取捨選択ができなければ意味がありません。そして、その方法を学べば取捨選択できるようになるのかと言えば大きな疑問が残ります。
つまり、適材適所の刺激を与えられなければうまくいかないということです。逆に言えば、初心者であっても適材適所の刺激を与えられれば劇的な効果を出せるということです。
方法論だけでは絶対に無意味であり何もつかめないのです。
まず、そのことに気づかなければなりません。これはセミナーショッピングをする人を見ていて強く思います。習った当時は治療効果が出るのに数日たつと効果が薄らぐという現実を見せられます。
この現象は、セミナーショッピングをする人だけではありません。古典ショッピングをする人にも当てはまります。
例えば、古典の本を調べていて、こんな治療法があったのか!!
と感動するとします。試しにやってみます。
うまくいく確率が格段にあがります。
だからこの方法は凄い!!
などと豪語するようになります。
しかし、同じような例を数回みていると徐々にその効果は落ちていきます。その間、術者の心には必ずちょっとした疑問が芽生えています。「こんな方法で良いのだろうか? もっと違う方法なら更に効果を出せるのでは?」というような疑問が起こります。また、その方法に慣れてくると、ただそれだけで効果が落ちます。
慣れと疑問が起こった時点でアウトです。
古典ショッピングやセミナーショッピングをする人は誰しもがそんな経験をしているのです。
たぶん、これはエビデンスなどの文章を参考にした治療をしている人も全く同じ現象に遭遇しているはずです。ただ、エビデンスを豪語する人は、うまくいかない時であっても、それを数値化することに興味があるので無視されることが多いのは悲しいことです。
ここで起こっている現象だけに焦点を当てると治療のヒントがあるのがわかります。
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