同級生と喋っていると近くの物が見にくくなったということをよく話します。
私も例外なく見えにくくなりました。
物が見にくくなって嘆くのではなく、見たくないものは見なくて良いようになったんだと考えると嬉しくなりません?
それはそれで良いかなとも思います。
仕事で見なくてはならない書類を見ようと思ったら老眼鏡と言う最強の武器があります。
見たいものと見たくないものを選別できます。
若い時にはない機能です。
非常に便利な機能と言えば便利な機能です。
選択できる訳ですからね。
物忘れがひどいということもよく言われます。
私が、前から言っているように覚える必要のないものをどんどん忘れるようになったんだと考えると新しいことが記憶できる楽しみが増えたんだということですよ。
物忘れが酷くなったと嘆く人ってどういう時に嘆くのか?
やっぱり昔は物覚えが良かったからなんですよね。
私は昔から物覚えが悪かったので、物覚えの良い人を見るといいな~って思ってました。
しかし、形勢逆転!!
年とったら物忘れが得意な私は物忘れをしても落ち込まない。
これだけでもどれだけのストレスから解放されるか・・・。
患者さんでも物忘れが酷くなったと嘆いている人をよくみかけます。
少なくともそんなことで悩まなくて良い。
それでも必要なことは忘れませんからね。
ご飯食べることもトイレ行くことも忘れません。
寝ることも!!
必要なことは全て揃ってます。
それ以上何を覚えて何がしたいのか?
何が必要で何が必要でないか?
覚えられないもの、忘れてしまうものは必要のないことです。
どんどん忘れましょう。
頭の中に余計なものを入れ続けていると頭がいっぱいになって大事なことが入らない。
だから雑学という学問は年をとると全く不必要なものであったことがよくわかります。
映画を見ても面白かった映画を二回も三回も楽しむことができます。
あるギタリストが面白いことを言ってました。
映画は、ストーリーを覚えていたら面白くない。
しかし、曲って知っている曲の方が楽しくノレるのは何故かな~?
って言ってました。
ギタリストとしては新曲をやりたいのに昔の曲を切望されるのがき面白くないのだと思います。
ある意味観客への皮肉なのですが、これって真実だな~って思います。
それがなぜなのかを科学的には証明できない。
ましてやなぜそれが必要なのかは全く証明できません。
あくまでも予測はできますが、予測の域を脱することはできません。
証明できなくてもみんな実感する。
証明はずっとずっと後からで良いのです。
証明されたからと言ってそのものを相手に感じさせることはできません。
そんなことが一杯あります。
本当に必要なものはなにか?
これを感じる。
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