意識と共に身体は変化する

意識の話しをしましたので、なるべく簡単にまとめてみたいと思います。

私は長年筋肉の反射を研究してきました。


うまくいく時もあればうまくいかない時もある。

それは事実です。

ただ言えることは、現象は肉体にあらわれるけど、その肉体にあらわれた現象は必ず宇宙とも銀河ともつながっているということです。

銀河なくして肉体はありえない訳です。

宇宙がなかったら人間もありませんからね。

そこには何らかの関連があるはずです。

それはないと言い切る人がいたらあまりにも小さい範囲でしか物事を見ていない人と言えるでしょう。

まあそれはそれで発展途上ということで良いのでしょう。

つまりその人の意識がそれに合わせようとしていないと認識できないということです。


もちろん、目に見える現象が悪いのではありませんし、物質的なことが悪いと言っている訳ではありませんよ。

それしか見えてないということが問題と言っているだけです。


様々な情報が宇宙からも降り注いでいて刻々と変化しているのだと思います。

そのスピードについていけないと身体から出ているサインを見落としてしまう。

ということだと思うのです。


映画の中でもありますよね。

犯人を追いかけている刑事は犯人が右に行ったか左に行ったかわかりません。

でも視聴者は知っている。

それはテレビだから知っている訳ではなくテレビの視点でひいて見ているからです。

登場人物はわかっていないという役をしていますし実際ならわかりませんよね。

でもテレビを見ている視聴者は知っているからそっちじゃない~。

なんて叫んだりしてません?

まあ古いドラマの見過ぎかな~。(笑)

最近、そんな臭いドラマ作りませんよね。


でもひらたく言えばそれと同じです。

視点が違うということです。

視点の違う人と話ししても辻褄が合いません。

私達の意識も目に見えない宇宙の端に向ければ、そこに到達します。

もちろん肉体がそこに行く訳じゃない。

でも意識はそこにいます。


土星って綺麗なので望遠鏡で覗いていると土星に行った気になります。

望遠鏡を持って寒空に行ったことが何度もあるので、その時の感動は忘れませんね。

だから土星を見ている時、意識はそこにある訳ですよね。

暗くて他が見えないんじゃなく、土星に意識があるから周りが見えなくなる。

それが意識です。


それならそこから地球を見る意識を作ることも可能ですよね。

そこから自分の身体を見ることも可能な訳です。

そして人の身体を見ることも可能な訳です。

自分の意識を何かに注視する。

その意識はそれと同調する。

テレビを見ているようにです。


そうやって自分の身体や患者さんの身体を見たときどう感じるかを筋力検査法で感じとります。

目で見るだけが認識する方法ではありません。

目の見えない人でも鉛筆は形がわかっていれば認識できます。

それと同じです。

筋力検査法というのはそういう方法です。


筋肉が緊張したとか弛緩したという単純なものではありません。

どの意識の段階でみるとどう感じるかを記録する検査です。


そういう認識の仕方がとても大事なのです。

一応認識には言葉が必要です。

言葉は記憶の塊です。

鉛筆の形は触っただけでどんな形をしているかはわかりますよね。

でもそれが鉛筆だと知らなければ何なのか何をするものなのかはサッパリわかりませんよね。

それと同じです。


それに名前をつけた。

宇宙から身体を見たら、何かあった。

でもそれは何かはわからない。

だからそれに名前をつけた。

それがまとめられたものが鍼灸のバイブルである古典だったりする訳です。

西洋医学とは視点が違うんですよね。

だから古典を西洋医学的視点だけから見ても問題が解決しない訳です。

理解するためには意識の変革がとても大事です。


エビデンスで片づく問題ではないのはあきらかです。

エビデンスや論文を書くことだけが大事と思っている人は必要です。

物質的な現象をまとめてくれる人ですからね。

それを否定している訳ではありません。

でも現実はそれだけでは説明のつかないことが沢山あるのです。

それが事実だと認めないとはじまらない話しが沢山ある。


そういう人を説き伏せようとするのも同じ穴の狢かもしれません。

そういう人の文章を見ても最近心が揺れなくなりましたね。

ちょっと前はかなり揺れました。

色んな意識の段階がありますからそれはそれとして認めてあげることが大事だなと思うようになりました。


達人はその人にしかわからないものがあります。

言葉にならない感覚です。

無理やり言葉にしているから、それを読んだ人は必ず誤解します。

それが古典です。

実感があってそれに名前がないと不便だから名前をつけた。

そんなふうに書かれているはずです。

それを額面通りに読んだら間違うに決まっています。


一般の学校教育は違います。

最初から名前がついてます。

そしてその名前を答えさせます。

記憶することを学ばせる訳です。


でもそんなものは本を調べればわかります。

今ならインターネットですぐ検索できます。

記憶することに意味を持たせて、それができれば100点もらって誉められるなんてどうにかしてます。

頭はそんなふうに使ってはいけません。

頭で考える前に感じることが大事なのです。

そしてそれを記憶する。

言葉と記憶はその副産物でしかありません。

そのことをどれだけの人がわかっているかな~?

って思ったりします。


記憶と記憶をつないでも答えは記憶でしかありません。

もの凄い発明をしても記憶と記憶の組み合わせです。

視点を変え感じることです。

この意味がわかったら凄いことが起こります。

御薗治療院

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