私は講演をするといつも言われていたことがあります。
抽象的で分かりにくい。
回りくどい説明が多すぎる。
それを言われるたびに、落ち込んでいました。(^^;
しかし、本質を伝えようと思った場合、どうしても抽象的にならざるを得ない場合があります。
抽象的とは?
多くの物や事柄や具体的な概念から、それらの範囲の全部に共通な属性を抜き出し、これを一般的な概念としてとらえること。
定義せず、イメージせず、ぼんやり見ることが抽象性の大事なところだと言うことです。
抽象的な思考のおかげで色々発想することはできました。
でも、やっぱりそれでは確かに伝わりにくいですよね。
抽象的だと、ボヤッとは話しできても具体的には話しができません。
しかし、東洋医学はまさにこの抽象的思考によって生まれたものだと思います。
東洋医学を具体的に説明しようとすると、どうしても矛楯が起きます。
基本となっている陰陽五行説の木火土金水の話しでも、なぜ、金が溶けると水になるのか?
金は金のままであり、水にはならない。
木が燃えて灰になって土になり、その中から金が出るというところは理解できます。
しかし、どうしても金は溶けても液状にはなりますが水にはなりません。
溶けることはあっても固まればまた金のままです。
その水から木は栄養分を受け取るのが自然の姿ですが、金は金のままで木に直接の栄養は与えませんよね。
水は常温では水のままで固まりません。
それを何故金から水ができたと言えたのか?
ぜんぜん、現実的ではありません。何となく、そんなものかなという説明にしかならない。
このあたりの矛楯を受け止められるかどうかが東洋医学の難関かもわかりません。
それ以外にも心包は何か?
三焦とは何か?
三焦や心包という器官はありませんからね。
具体的に説明しようとすればする程、矛楯が生じてくる訳です。
しかし、そんなもんだと思ってボヤッと見ていると何となく身体に当てはまってくる。
きっちりと説明できることが、身体をよくすることになる。
という考えを、もう一度見直す必要がありますよね。
もっともっと抽象的思考をして、ボヤッと捉える練習をしないと、あまりにも物事が具体的になりすぎて、本質を見誤ってしまうのではないか?
これは医学に限ったことではなく、日常生活でもマニュアル化しすぎることで、住みにくい世の中になっているような気がすると感じている人は多いのではないかと思います。
そんな疑問を持って世の中全体を見渡していた方が良いと思います。 使えそうなところを抜粋して、だいたいで物事を捉える。
この見方は、実は、臨床では凄く有益な方法なのです。
矛楯はするけど、全体を捉えるということですね。
きっちりとしようと思うから、高血圧には降圧剤、風邪で熱があったら解熱剤・・・。
という形で処方がマニュアル化されて投薬する種類が増えていく訳です。
治療の達人に聞けばわかります。
なぜその穴を選んだんですか?
その答えが達人は明確です。
そうだと思ったから・・・。そう感じたから・・・。
達人でない人は、ああだこうだと説明します。
完璧な説明を目指します。しかし、身体は完璧な説明を望んでいません。
これが現実です。
科学や西洋医学は、そこを説明できません。
世の中に説明できないものがあるということを理解していないからです。
この差は大きい。
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