専門家のセミナーを7月(伊勢)と8月(東京)に行いますので、その基本的な診察法を紹介してみようかなと思います。
触診、されど触診です。触診は様々な診察の基礎となります。しかし、キチンと意識しないと全く効果のない診察法となってしまいます。また人によって結果に違いがでてきます。これを意識しないとうまく情報を引き出すことができません。
触診をするにはコツがあります。
無理やり押さえても駄目です。
私が押さえても痛みがあっても他のベテランの先生が押さえて痛みがないという場合もあります。これは意識しているものが違うからです。しかし、それを問題にする人は少ない。だから圧痛があるとかないとかは、全員が同じ結果にならなければならない。
と思い込んでいるようです。
実際は何を意識して触診したかによって大きな違いがあります。見ているものがそもそも違うのですから同じ結果になるはずがありません。
世の中は科学的(客観的)に正しいものでなくてはならないという幻想に踊らされているように思えて仕方がありません。科学的とは何かを深く理解しないで、単に計測するということが主体になった結果だけを尊重してしまうと臨床に合わないものが沢山でてきます。
これが鍼灸の触診を発展させない大きな理由になっているように私は思っています。実際そうなんだと思います。
だから、どこの刺激ポイント(穴等)が効果があるとかないとかいう話になる訳です。そして流派での主張が違い論争の元になります。
もちろん位置(穴)による効果の違いは、ある程度は、正しいのですが、見方によって無数に存在しているということに気づかない。
だから、主張するポイントだけが正しい訳ではないのに、それだけが正しいと思い込む。
もっと大らかになればいいのにって思います。
鍼灸治療はある意味プラシーボの要素は強いです。それは否定しません。だから科学的でないと言われたら、そうかもわかりません。
もちろん、それでも立派なエビデンスも沢山あります。しかし、エビデンスで鍼灸の効果をはかって欲しくないと逆に私は思っています。
あまりにも世界観が小さすぎる。
プラシーボは非科学的?
プラシーボとわかっていても効果はあらわれます。それも認められています。それが何故なのかを解明できない客観って絶対なんでしょうか?
科学的なことが正しくないと言っている訳ではもちろんないのですが、それで推し量れないのが人間の身体だということです。
新薬のテストに何故二重盲検テストが必要なのか?
そもそもそのテストをする理由を知りたいです。それに疑問も持たない人が科学的だからという理由だけで信じ込む姿を見ているとまるで宗教だなと思います。
この方も意識を首のリンパ系に向けなければ圧痛を探し出すことができませんでした。
ただ首を押さえただけでは検出されない圧痛があるのです。それをどう説明できるのか?
また範囲がかなり限局されているので、ちょっとズレるとわからない。角度が違ってもわかりづらい。
結構難しい例です。たぶん初心者では見つけることが困難な例です。
そんな例が沢山あるのが臨床です。
科学の枠にはまらないのが生の人間の姿なのです。
その人そのものを見たい。
それができれば科学的であろうと非科学的であろうと、私はどちらでも構いません。
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