血海は主になっている側以外に陽側にも反応がでることがあります。
前回、血海の図をあらわした方は、右手の上腕の陽側(伸展側)にもでていました。
通常は、血海や髄海は陰側、水穀海や気海は陽側に出ることが多いのですが、状態によって違いがあるのかもわかりません。
今後の課題です。
左下腹部、左顔面部、左手上腕内側(心経側)にも出ていましたが、それと同時に右の上腕の伸展側の中央にも出ていました。
他の「海」でもこのような変化をするのか、それとも血海だけなのかはわかりませんが、今は主に血海と髄海の変化が著しいので、今後、また調べて行こうと思っています。
全身のありとあらゆるところに「海」は存在し、それが体表面にあらわれてきたり、深部に潜ったりしています。
それには様態があり、気水血と関係があるのだろうと思います。また血海のように変化に富んだ「海」があり、予測不可能という「海」もあるみたいなので、必ず法則どおりにいくかというと、そんな甘いものでもなさそうです。
あくまでも答えは一つではありません。
つまり、臨床上は、これで良かったという意味であって、これが正しいとは思っていません。
「海~は広いな大きい~なぁ~」
ということです。生命の源ですから、海の治療は全体の治療の根元的なものかもわかりません。もちろん想像ですので、断定している訳ではありません。
2月16日の東京セミナーで距骨の話しをしてから、再度、「海」について調べようと思って約一ヶ月が経ちましたが、なんとなく、最初の段階の全体像が見えてきたような気がします。
「海」は、精神疾患や得たいの知れない疾患に対して、効果的に働く可能性を秘めています。やはり生命の源ですから、その源に何らかの変調が起きれば、全身に影響があってもおかしくありません。
身体に「海」があるなら山もあるし、空もあるはずです。空は体外と言えなくもないです。そして、それは月や太陽と言った他の恒星や惑星とも密接に関係しているでしょう。また月の引力と密接に関係しているのは「海」ですから変化に富んでいても不思議ではありませんよね。潮のみちひきがありますからね。
このように考えていくことで、徐々に神秘思想に発展していくのだと思います。私は、言葉だけの神秘思想や、自分が体験していないのに想像で作ったような神秘思想には全く興味はありません。
しかし、身体を自然の一部と考え、それに合わせた反射を観察していくと、川や海があって、それぞれに作用があるというのは自分で体験した事実です。そして、それを利用することで現実的に身体に変化を及ぼす現象には、とても興味があります。
神秘思想的なことを言う人がいますが、実感のない神秘思想は想像だけの神秘思想です。実感があっても、それだけで物事を判断するのではなく、余裕のある神秘思想が重要だと思っています。
古典を斜め読み(私の場合は超斜め読み)して得られた知識(単語)を使って、身体の現象を追いかけることで感じられるのは、やっぱり自然と人間は共存して生きている存在なのだと思わされるということです。
細分化した現代科学は、素晴らしく、様々なことがわかってきました。しかし、それをいくら個人で勉強しても、実際に調べた訳ではないので、あくまでも人が経験した知識の積み重ねを引用しているだけにすぎません。たぶん、現場で働く医師も、基礎研究をしている人でない限り正確には科学的とは言えません。それなのに自分が調べたみたいな物言いをすること自体に疑問があります。
だから科学は、そうなんだ~ぐらいにしか思っていません。私に出来ることは限られています。あくまでも徒手空拳でできることは、多くないので、全てがわかる訳でもありませんが、「海」の研究から思っている以上に果てしなく続く何かを予感させます。
今できることは、目の前にいる人の身体を探ることであって、一つの世界観を作り上げようとすることです。そんなことをやったところで、誰も見向きもしてくれないかもわかりませんが、ただ、そうしたいし、そうありたいと思ってやっています。
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