今回の局所経気の反応で学べるのは、光と影だと思います。
表面に見える光(局所経気)
その影となってあらわれる深層反応
その影は、局所経気と途切れたことは一度もないけど、影になっているので表面的には見えない。
でも存在はしている。
影は奥深く潜り、その先端や途中に表面にでてくることで光となって見えてくる。
一見すると、その光と影は無関係に見えて、実はつながっている。
そんな現象が、局所経気の中にあり、その中で全て表現されている。
局所経気の中には、影の要素も全てがつまっている。
だから光は影であり、影は光
症状は、完璧に氷山の一角です。
症状をとることを目標にするのではなく、その身体が表現しているものを、全体的に少しずつ引き剥がしていくことで、結果的に症状を改善は改善していくのです。
しかし、患者側の印象としては、少しずつしか症状が変化しない場合は、以前できなくて今できることがあっても、症状だけがずっと続いているように思えてしまうのです。
発展していることに気づけないのだと思います。
ここで個人的評価がわかれる時があります。
最近は、そういうことにも目を向けられる患者さんが増え、光と影を見分けられるようになってきた人が多くなったような気がします。
というか、自分自身も、そういう見方が以前より強くできるようになった結果、患者さん自身も、そう思える人が増えたのかもわかりません。
もちろん、以前は、それをわからなかった人が、現在はわかるようになったという方もあることから、少しずつ、少しずつ変化してきているのかもわかりません。
何をするにしても、まずは、この光と影をよく見続けることです。光と影を見ようとしない人は、いつまでたっても見えるものしか見えないのだと思います。
見ようとしない。
ということなんだろうなと思います。
素質って言いますけど、見えないものを見ようとし、その光と影がどうつながっているのかを見ようとしない限り、光と影の関係は一生見えないんだろうなと思います。
これは完全に素質ではなく、見ようとし続けた人か、見ようとし続けていない人かの違いです。
だから、見ようとし続けると、どんなに鈍感な人でも、自然に見えてくるし、敏感な人のように見えて、見ようとしていない人は、一生見えないんだろうなと思います。
ただ、それだけのことなんだなと思います。
見ようとしない人は、生活全てのものにおいて見ようとしないし、見ようとする人は、生活全てにおいて見ようとするから、何をしていても、何をしていなくても見ようとしています。
全てを見ようとするから、普通に時間がかかります。でも諦めないことだと思います。諦めない素質は、あるかもわかりません。
決めつけや諦めは、どんなことにおいても、光は見えても影は見えない。
あきらめないでやり続ける。
全体を見ようとする。
光と影
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