解剖学

解剖学は、目に見える世界の話しです。

目には見えるけど、その人の身体の中がどうなっているかは、想像の世界の話しです。


自分が思う肺と人が思う肺は違います。同じ専門家同士でも経験や知識によって微妙に違います。素人の人が思う肺は、きっとボヤッとした肺です。肺の手術が専門の外科医が思う肺と、胃の手術が専門の外科医が思う肺も違うでしょう。専門的になればなるほど、そのイメージは詳細になり、肺という小さな世界は、どんどん大きくなります。


この違いがわかるでしょうか?

大工が見る家と素人が見る家は違います。同じ大工でも宮大工と一般建築の大工も家に対するイメージは違いがあるでしょう。


そう思うと同じ物をイメージしても全く同じものを他人がイメージするということは不可能だと言えます。見えるものが違うのに、それを同じにしようとするのは無理があります。そのイメージの違いを出来るだけ同じに見せようとするのが学問であり知識です。

知識の共有は、単純にその為です。それを共有することができてこそ、同じような現象を起こすことができる訳です。


だからあくまでも自分が見るとこう見えるということを、できるだけ詳細に言葉に変えて相手に伝える努力が必要なのだと思います。


経験も知識も違うので同じになるはずがないのに、お互いが牽制し合うのは、本当に不毛な議論だなと思います。意見が違って当たり前。意見の対立で感情的になるのは本当におかしな話しなんだろうなと思います。それでも感情的になってしまうのが人間です。そこがまた面白い。

よくよく考えれば、とても複雑なものだと思いませんか?


複雑だから面白いんです。


御薗治療院

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