それではどれぐらいの動きで代償運動は起こるのでしょうか?
多分、皆さんが想像している以上に小さい動きだと思います。特に脊椎の動きはある意味代償運動の塊とも言えるほど自然に起こります。
背骨を動かすと代償運動から逃れることはできないと考えた方が良いほどです。だからこそカイロプラクティックのような手技が成り立つのだと思います。
例えば首を左に捻ると思った瞬間に代償運動は起こっています。右に捻ろうと思った時と左に捻ろうと思った時には思い方が全然違うのに気づきます。
ただそれに気づくか気づかないかだけの差ですが、そこに注意を向ける人は殆どいません。
なぜなら、そんな馬鹿なと思う程小さい動きだからです。動きというより、動かそうと思った瞬間に代償運動は起こります。
ここで重要になってくるのが認識です。代償運動を認識した時点で代償運動は解消されます。もしくは代償運動が改善する方向に認知されます。
実は、これを扱うのが治療の極意と言えるかもわかりません。ただ、これは知識でそうだとわかっていても何の役にも立ちません。実感あるのみです。逆に知識は大きな足かせとなるのを実感します。
それでも人は知識なしには物事をはじめられないのだと思います。
言葉を持ち、それに意味を持たせて、文明を発達させてきたという歴史が身体に染みついているのだろうと思います。もちろん、私自身も少ない知識ですが、それに振り回されます。自分で確認するまで、これほど代償運動が僅かな力で起こるとは思ってもみませんでした。
しかし、現実にそれは起こっています。
ホントに人間の身体と知識は面白い関係にあります。どんな科学的な説明も、この感覚の前には陳腐なものになってしまうということを知りながらも知識で何とか表現しようとするというのが本当に面白いとさえ思ってしまう程です。
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