昨日の続きです。
まずは、その人にとってどんな異常があるのかを知ることはとても大事です。この方の場合、足が痺れるという症状でしたが、なぜ痺れるのかというのはわからない状態な訳です。
よく高齢の方とこういうやりとりをすることがあります。
腰の痛みを訴えている方が来院したとします。
患者さん「右側の腰の痛みがあるんです」
私「そうですか」
「それでは、何が原因か探っていきますね」
大腿部を押さえて「ここは痛いですか?」
(患者さんは、顏をしかめている)
患者さん「いえいえ、私は腰が痛いんです」
こちらは押さえて痛いかどうかを聞きたいだけなんやけどなぁ~。と心の中で言います。
患者さんは、顏をしかめて、そこは痛くないと言い張る訳です。
共通言語の日本語で会話をしているので、腰の痛みがあることは最初に聞いたのでわかっています。
痛みに意識を向けすぎて違う話題になっていることに気づきません。
それぐらい自分の痛みは、腰なんだと強調したいのだろうと思います。その気持ちはよくわかりますが、原因を探りたくて大腿部を押さえている訳ですから、それに正しく答えて欲しかったなと思っている訳です。このように感覚は鈍っていく訳です。何かに囚われると感覚は鈍ります。そのもっとも良い例だと思います。
その後、なぜそこを押さえるのかを順番に説明していきます。
この動画の方は、意味がわかっているので、足を動かして、その動きがどういう感じかを話してくれます。そして額に刺激を与えることで、足の動きが変化することを理解してくれました。
つまり額が足の動きを制限する一つの原因になっているということを体感した訳です。頭で理解した訳ではなく、身体の動きが変わって理解したということです。
鍼灸治療の弱点の一つとして、ベッドに寝かせて腹臥位や仰臥位で行う施術が多いということがあります。原因を探るような問答を最初からしていない。
そもそもマッサージのオマケみたいに考えている人もいるみたいです。それでは絶対に鍼灸の技術はあがらないなぁ~と感じます。
そもそも異常を見つけることもしない鍼灸師もいます。何が問題で何が問題でないのかを明確にしていかないと発展性はありません。当たり前の基礎を少しずつ習得し、もっともっと感覚を体系化して、それを論理的にすれば良いのになぁ~といつも思います。
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