触診は、ホントに人によって感じ方が違います。
これは事実です。
なので触診では評価にブレがあるから客観性がないと言われます。その通りだと思います。
ましてや脉診や腹診なら更にありえる話しです。それは経験者同士であっても起こることから、脉診や腹診は、あてにならないと言われたりします。
しかし、そもそも感じ方に客観性って必要なのかなぁ~と思います。
感じ方なのですから、多くの人が、このイチゴは美味しいと感じたとします。しかし、美味しいと感じない人もいます。
それって罪ですか?
間違いですか?
あきらかに美味しいと感じられるような甘いイチゴなら90%の人が美味しいと言うかもわかりませんが、美味しいのか美味しくないのか微妙なイチゴの場合は、結果も曖昧です。曖昧なものは間違いですか?
それをパーセンテージではあらわせますが、そのうちの一人がどう感じるかを当てることはできません。ここが客観と主観の違いで一番重要なところです。
学校教育に余裕がないと、正解があると信じて疑わない人がいます。それって大人になっても、いつまでも学生のままの精神でいる人のことです。
しかし、社会に出れば、正解がないというのは誰しも経験します。概ね正解かも・・・というのはあるかもわかりませんが、あくまでも概ねです。
絶対に感じ方に正解なんてありませんよ。
途中、彼が右の方がと言ってますが、実は、それは間違いではありません。実際に右にも深いところにあるのを私は知っていて、彼に左側のことを聞いてます。
私の感じているものを感じてもらいながら、その感覚を患者さんとも共有するのが正解だったとしたら、間違っていると言えるだけです。右側にも反応はあります。
だからよくみて~と言っている訳です。
左側の方があきらかであり、患者さんとも共有しているでしょ?
ってね。
私一人の意見じゃありません。
検者の見方の焦点があってないとフォーカスできないというだけです。それを同じ感覚に近づけたいと思ったから、よくみてと言ってます。これは訓練です。幅を持たせる為の訓練です。
そして少しその一端をつかんだから、患者さんも近づいてきました~という表現をしています。
この数分の動画の中には、治療のヒントが一杯あります。それに気づけるかどうかは、どのように考えて取り組んできて、その経験を、どれだけ積んだかによって違いがでてきます。
ただ、それだけです。
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