プラシーボとは4


医者に大丈夫と言ってもらって元気になった人はいくらでもいます。寿命5ヶ月と言われて5ヶ月で亡くなる人もいます。


それもプラシーボだと思うのですが、これを、うまく作用させられれば立派な医療になる訳です。

その為にも、もっともっとプラシーボのことを研究する必要があるのではないかと思っています。 プラシーボという言葉を必要以上に非科学的だと否定するのは西洋医学ではなく、単なる物質主義医療です。


そのような医療は、少なくとも東洋医学からすれば本質ではありません。物質から物質以外へとスムーズに移行する意識の柔軟性が医療者には必要不可欠です。つまり、どちらも必要であり持ち合わせている必要があるということです。 

西洋医学で扱う薬は、出来るだけ雑味をなくして純粋にし、それを投薬するということをやってきました。これは結構な荒技です。ある意味自然から離れています。もちろん、自然なものが全て良いと言っているのではなく、その違いを知っている必要があるということです。どちらが正解で、どちらが不正解という単純な発想ではないのです。


その方が効果が高いとわかったからですが、それによって失われたものは、かなり大きいのは事実です。つまり副作用も強烈に出る訳です。 しかし、もっと驚くのは東洋医学をやっている人が、プラシーボを否定するのは真剣にビックリします。西洋医学に近づけなければならないと無理に背伸びをしているように思えてなりません。


これらは対立するものではなく、物質からアストラル、アストラルからメンタルへと移行していっていることを知らないで物質にしがみついているだけのように思えます。だからこそ移行していくことを理解させる為の医療教育というのが必要不可欠になってくるのではないかと思います。 そして一番大事なことは、いかに患者さんの身体を変化させ喜んでもらえるかです。


もちろん、ただ変化させるだけでなく、なぜ変化し、どうなっていくことが大事なのかを明確にすることです。 プラシーボであっても効果があれば、それは一つの事実として真実です。しかし、なぜ効いたのかを解明する努力をしていないと何もはじまりません。

効果があれば、その場は良いのですが、それがなぜ効果があったかを詳細に調べれば、どうすれば再現性が高まるかということにもつながっていくからです。 


そのように考えれば、西洋医学も東洋医学もなくお互いはつながっている存在なのだというのがわかります。手術をしなければならない時は手術をし、投薬しなければならない時は必要最小限で投薬し、それ以外は、その人が人間としての尊厳をもって自力で生きていくことを支えるのが医療の本質だと気づきます。


そんな医療教育が必要なんじゃないかと思いますが、科学的、科学的と声高に言う人がいて、科学で全て説明がつくと思い込んでいる信者のような人がいるのは驚きです。 



御薗治療院

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