曖昧な道具

感覚は曖昧で頼りないものです。しかし、物とは何かという定義をするのに絶対に欠かすことができないのが感覚です。

曖昧な感覚が医療の道具になるのかという疑問が起こって当たり前です。 だからと言って見えて触れる物の世界だけが正しい訳ではないことは、身の回りのものを見ればわかります。


極論を言えば東洋医学は思想です。 思想が、物であるかのように存在していると定義づけられてきた歴史がある訳です。それに反発しているのが科学であり、思想を明確にし、あきらかにしようとした訳です。その試みは理解できますが、これにも大きな疑問があります。


思想というのは目には見えません。そして、それを計ることもできません。数値化できない訳です。

バイアス(思い込み等の要因になるもの)は「悪」とされ排除するという世界観の中では、思想は存在できません。不思議なことにバイアスのかかってない人を私は今まで見たことがありません。

人種によっても違いますし、住んでいる地域によっても大きな違いがあります。バイアスを否定するのが科学だとするならば、科学は不必要な張りぼての虎です。

バイアスは存在して当たり前なのに、それをなくしたデータが人間社会で役立つと考える方が狂気です。科学が進み過ぎると、そういう結果になる可能性を含んでしまいます。


星も見えるけど、触ることはできません。月に行った人があるというだけで、自分が行った訳でもないのにその存在を疑う人はいません。物と言う定義が、五感で感じられる存在であるはずなのに、視覚だけで絶対に存在していると信じることも解せません。ひねくれた考え方かもわかりませんが、そんなふうに考える必要があります。物の定義は五感で感じるはずですからね。


自分達が当たり前だと思っていることを疑わない。または考えないというのは、バイアスがかかっている証拠だと思います。バイアスのかかっている人程、「あの人、バイアスがかかっているから駄目だよなぁ~」とか平気で言う人がいるのは笑ってしまいます。


ちょっとおかしいよなって思うことは世の中に沢山あります。世間を騒がせているウィルスも何で?

って思うことが一杯ありますが、完全に皆さんバイアスがかかっています。

そんな行動を平気でとっています。きっと偉い先生がそう言うんだからとか、テレビで言っていたからという理由が殆どの行動の根拠だろうと思います。


これもバイアスですよね。

科学的根拠が~と言う人もいますが、その根拠って何?

って聞くと、自分で調べた訳でもなく現場に行った訳でもないのにインターネットで発表されているような数字だけを見て根拠だと言っていたりします。もちろん、発表されている数字を読むことは大事です。それを否定している訳ではありませんが、その数字の調べ方はどうなっている?

と疑問に思う人は殆どいません。

やっぱりバイアスがかかっているんだと思います。


なんか、人って簡単に信じすぎますよね。

こんなに簡単に信じやすいのかと思うと人間って何?

って思ってしまったりします。


月に行ったこともないのに、見えるというだけで存在が絶対だと思ってしまいます。ないと信じる方が難しいのはわかりますが、五感で感じている訳ではないので、絶対だとは思えない存在ぐらいに思うことが必要なはずです。

見て触って臭いや音を聞いてこそ実感するのが「物」です。自分が月に行ったら今とは全く違った感想になるんじゃないかと思います。これでしっかりバイアスがかかります。まぁ行くことは、ほぼないはずですが・・・(笑)


人間が関わっていてバイアスのないものを見つけること自体が難しいのだとわかります。それなら、バイアスがかかっているのが、ありのままの人間であって、それが自然だとわかります。自分にもあきらかにバイアスがかかっているので、バイアスをなくす努力なんてしなくて良いとわかります。


科学を否定している訳ではありませんが、科学の弱点を知らないと科学がもたらす影響力は果てしなく大きいと感じます。科学が絶対になったら、人間は自然な姿ではいられなくなってしまいます。

科学が進んできた今だからこそ、もっと自然回帰していく必要があるのではないかと思います。

それがバランスです。


片寄った思想を持っているのが人間です。それが自然であり、ありのままです。




御薗治療院

身体と意識の不思議な現象を体験してください

0コメント

  • 1000 / 1000