たぶん、こういうことを書き続けていると読む人が少なくなるんじゃないかなと思って書いています。(笑)
次元の文章を書いていると、爪がキーボードに当たって打ちにくいことに気づきました。爪が伸びてきているのです。 当然、爪を切ろうと思ったのですが、次元の文章を書いていたからかどうかはわかりませんが、爪を切る音が妙に心地よい音に聞こえてきました。 そして、なんと、自分が爪の音になった気がしたのです。(笑)
音になったのは初めての経験というか、何度もそうなっていたはずですが、そうなった自分に気が付いたという経験をしました。 まさか、爪を切ることで、そんなことに気づくなんてビックリですが、今までの爪切りの音とは全く違って、自分自身が音そのものになった感じになったのです。
気が狂っていると思う方もいらっしゃるかもわかりませんが、それは、上も下も左右前後もない世界です。 爪切りの音で1次元に入ったなと思いました。
普通に音を聞くとき、前後左右上下はあります。音楽を聞こうとしている時は、音そのものに注意を向けて、それが気になります。音を自分と分けている状態です。
だから吟味するという意識が先にたちます。 音を吟味し、それを記憶しようとしています。しかし、それでは音そのものになることはありません。
音そのものになった世界に身を置くと、自然の壮大さにおののいてしまいます。自然は海や山だけにある訳ではありません。人は自然の中で生まれたので人間も大自然の一部です。だから人間が作り出した物も自然の一部であることに違いがありません。
そして目の前にある物全てが大自然の一部です。 他と個をわけないというのは、そういうところにもでてきます。日本の心というのは、そういうところを目指したんじゃないかと最近よく思います。
もちろん、それを言葉で表現できる程、学がある訳ではありませんが、そのものズバリは感じ取れます。
そんな世界を垣間見ると、ホントに小さなどうでも良いようなことで感情を乱しているんだと思ってしまいます。もちろん、その感情も人間の自然の産物なのですが、そこに留まっていては、あまりにも狭い空間に閉じこめられている気がします。
点である自分を想像してみてください。感情をコントロールしようとしても絶対に無理です。しかし感情そのものになると、点に近づいて何か冷めた自分がいることにも気づきます。
前後左右上下のない世界、それを想像してみてください。
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