経絡は触れることができます。
触れるだけでなく、それによって動きも予測ができます。しかも、自動運動でも確認できています。正確に言えば経絡を触っているというか、経絡らしきものを触れることができるという方が正しいでしょう。
これが経絡だと証明するものは何もありません。プラシーボと言われれば反論もできません。
触れるように訓練した人しか触れないので共感できにくいのは事実です。また経験だけでは触れることはできません。
大事なことは、それが経絡であるかどうかより、このような現象があるということです。五感の一部である触れるということが可能だということです。しかし、一般的な本に書いてある経路とは違います。だから、これを経絡だと言う証明にはなりません。
しかし、そんなことを証明して意味があるでしょうか?
穴があるとかないとかの議論は臨床的には不必要です。現実的にあることなので、それをどう活用していけば良いかを考えることの方が重要です。
あるものはあるんです。
あるから触れられる。
それ以上でもそれ以下でもありません。
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