どんなに凄い治療法を学んでも患者さん自身に気づいてもらえないと意味がないんじゃないかと思っています。
症状を訴えていて、それに対して治療をしました。
楽になり、症状がなくなりました。 これだけでは何の治療にもならないと最近よく思います。
もちろん、それも大事なことは事実ですが、もっともっと大事なことがあります。それは、その人が自分の身体のことに気づいてもらって、それをより深く理解することです。
自分の身体を理解できない人が症状だけなくなっても意味はありません。 必ずまた、次ぎの症状へと発展していく何かが残るからです。自分の身体や動きは、こうなっているんだと理解し、それに意識を向けさせることができてこそ真の治療と言えるのではないかと考えるようになりました。
逆に言えば、症状はなくならなくても、そのことに気づいてもらえたら、後々の結果は自然に良くなるという経過をたどると確信しています。しかも、それはソフトに優しく変化していきます。
気づくことが大事なのであって、それを修正しようとすることは、身体の緊張を逆に深めていきます。修正する必要はなく、純粋に気づくことなんじゃないかと思います。
私が患者さんに気づいて欲しいのは、うまくは動けてないという事実だけです。別にうまく動いて欲しいとは思っていません。
気づくことさえできれば、あとは身体に任せる寛容さみたいなものが必要です。だから治すという言葉は違うんじゃないかと最近よく思います。
このことに深く気づいたことが姿勢を正す訓練をしていてありました。だから、もう30年近く前の記憶をたどって、そのことに気づきました。
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