相手の言っていることを受け止める。
っていってました。
できそうでできないことですよね。
相手の言っていることに白黒をつけて頭の中で判断してしまう。
そうなんですよね。
判断してしまうってことですね。
これは知識のなせる技です。
知識があるとレッテルを貼ってしまおうとする。
それでは相手の言っている本当のことはわからない。
筋力検査の診断も全く同じなんです。
相手の身体が訴えている情報を引き出すのが筋力検査法の主な目的です。
言葉ではない言葉を察知する訳ですからね。
先入観をもっていると、こちらが誘導するだけになってしまう。
これって相手の訴えを聞かないで自分の知識を相手に押しつけることになってしまうんですよね。
知識が先行してしまうと、わかっていても引き出せなくなり難しくなります。
知識は、生きていくために必要なものです。
治療においても同じです。
でも知識が相手を引き出す能力を一番下げてしまう。
こちらに知識があることで治りにくくさせていることがあるんです。
ご高齢の方は、特にそうですね。
赤ちゃんも言葉にしませんからね。
高齢の方と赤ちゃんは、とにかく身体の要求を聞くことに専念しないと治療は不可能なんです。
だから治しにくいということも言えますね。
パターン認識に嵌まるとそれから抜け出せなくなります。
つまりパターンにおさまらないものは無意識に排除しようとしてしまう訳です。
だからパターン認識はあくまでもパターン認識の枠を超えられないのです。
それが治療家の傲慢さを生みます。
それは決して真実じゃない。
張りぼてのようなものです。
それが医療ですし、職人技が必要な理由の一つでもある訳です。
それを目指すも自由、目指さないのも自由!!
それを目指していると何度も何度も失敗します。
何度も失敗するからそんなことはあきらめようと考えてしまいます。
パターン認識だけで十分じゃないかと思ってしまう。
若い時はよくそれを考えました。
何度も何度も自問自答しました。
パターン認識だけで何故駄目なんだ?
ってね。
でもそれだけでは駄目だと私の背後にある何かが叫ぶんですよね。(笑)
魂の叫びなんでしょうね。
そのぶん苦労します。(^^;
パターンを超えるには失敗することでしか学ぶことはできません。
失敗から学ぶことのできる最高の褒美は、自分には何もできることはない。
することはない。
ということを学ぶことなんです。
逆なように思うかもわかりません。
この状態になった時、はじめて相手の話しを聞くことができるようになるのです。
思いもしないような効果をあげることができるようになる訳です。
私もまだまだこれからです。
日々失敗してます。
でも失敗は恐れない。
失敗を恐れない為には勇気がいります。
何度失敗しても諦めないというエネルギーが必要なんですよね。
しかも休みなく毎日毎日・・・。
何度も何度も挫けそうになります。
今までは失敗の練習をしてきただけのような気がしています。
失敗で自尊心が折れまくってヘトヘトになりました。
だからこそ勇気が沸いてくる。
次第に自尊心って何だ?
って思うようになってくる訳です。
そうすると実態のないものだと気づきます。
最初から実態のなかったものに実態を与えていたのが自分だと気づく瞬間です。
だから何もできないということを認識する訳です。
それが自我の崩壊なんだろうなと思います。
これからももっともっと自尊心折れまくります。
それが本当の意味での謙虚さにつながると信じているからです。
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