鍼灸師って頭の良い人が多いんです。
古典の分厚い本を難なく読みこなしてそれを利用していく能力のある人が沢山います。
私はというと意釈されたものをちょっと読んでは止めを繰り返していました。
なぜキチンと読まなかったかというと、あまりにも煩雑になりすぎて本当に必要なことが書いてない。
って思ったからです。
本当に必要なこと?
それは患者さんを目の前にしてできることということですね。
古典を読み進めていくと確かにできるようになってきます。
しかし、それを判断するのは頭だけでは不可能な気がしたからです。
その人の能力だと思うんですよね。
それはどういう意味かというと、私が鍼灸師になる前の学生の時、マッサージの免許をとって直ぐの話しです。
マッサージの免許は二年生の時に免許はもらえましたからね。
その当時は本当に知識も能力も全くなかったと言っても過言ではありません。
そんな私がその方を見た時瞬間この人は強い刺激を嫌がるんじゃないかな?
と直感的に思いました。
そこで強い刺激ではなく緩い刺激で丁寧に刺激したのを覚えています。
そうするとその方の緊張がみるみるうちになくなっていくのがわかりました。
ええ~。
なんで?
その方ももの凄く喜んでくれたのを今でも覚えています。
何もわかっていない私が単なる直感でちょっとやっただけでこんなに変わるん?
って思った経験があります。
理論もわかってない。
古典も読んでない。
誰に方法を教わった訳でもない。
それでもちゃんと人を喜ばせることができるやん!!
って思ったことです。
そして最後にどんな先生にやってもらうより良かった。
とまで言ってくれました。
その時の笑顔を今でも忘れません。
それなら頭から入るんじゃなく、もっと感覚から入るタイプがあってもええやん!!
って思い、それを実行し続けています。
感覚から入る。
直感から入る。
そして何らかの刺激を与えてみる。
反応を伺う。
この繰り返しをしていると能力が勝手についてきた。
逆に古典を読まなくても書いてあることが自然にわかるようになってきた。
というのがもの凄く実践的で臨機応変なんじゃないかと思えたからです。
そうすると色んなことがわかるようになってきました。
経脉や穴もわかるようになりました。
その構造も・・・。
そして意識すると様相がガラリと変わる。
そんなことどこの本見ても書いてないです。
きっと秘伝だから書けなかったんだと思いますよ。
書いてないことまでわかるようになってきた。
つまり本に書かれていることというのは書けることだけで本当のことは書いてないんですよね。
逆に古典を読みすぎるとそこから抜け出せなくなっている人が大勢います。
議論はとても上手いです。
そういう人と議論しても到底かないません。
本に書けないことができるようになると治療は飛躍的に早く確実にできるようになります。
今でもあの時の直感が降りてきた感覚というのは忘れていません。
あの状態で人を診ることができれば鬼に金棒だなと思います。
実践から理論を導き出した理論と理論から実践を導き出そうとした理論は違います。
素直に診る。
この能力は頭でわかっていても無理なんですよね。
ビデオを何回見ても自転車には乗れない。
乗って転けないと乗れないのが普通ですからね。
ビデオを見て自転車に乗ろうとしても駄目です。
それはわかってもらえると鍼灸治療がもっともっと発展するのにな~。
そう思ってます。
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