格差社会と言います。
お金はあったほうが良いです。
それは確かだと思います。
でも貧困だから不幸せだというのもちょっと違うようにも思います。
昔パパラギというフィクションがありました。
この本の内容にでてくるのは島民から見た西洋文化です。
私達は西洋文化側からしか幸せの定義をしていません。
この本では島民から西洋文化を見るという設定になっています。
とても面白い設定です。
でもあくまでもフィクションですからね。
現代に生きているので物質のある文化しか経験がないので物語の意味は何とも言えません。
物が溢れお金が溢れていたら幸せかどうか?
お金と物があれば幸せになる訳じゃないと言ってます。
でもなければないで困ります。
大事なことは、それをうまく利用できるかどうかだと思います。
お金は使ってこそ人とも共有できます。
今私が100万あったとします。
少なくもないし、多くもない金額です。
これで中古の気に入った車を買ったとします。
それは個人の楽しみです。
それはそれで価値のあることなのです。
それは間違いありません。
でも、この100万で人と共有できる何かを買ったとします。
10万で何かを買い人が喜ぶような仕組みを考えて、90万でそれを維持したとします。
車は買っても維持費がかかります。
100万しかないのに100万の車を買ったらガソリンも入れられません。
さてどちらが楽しみを多く感じられるでしょうか?
同じ100万です。
金額は同じ。
でも使い方が違う。
例えば安くどこかの土地を借りて1万円で種を買って、その土地に種を植えて、農機具を30万ぐらい買ったとします。
家庭菜園のようなことをして、それをみんなで共有するようにしたらどうでしょう?
少人数かも知れませんが、その人達と楽しい時間を過ごせるかもわかりません。
きっとそこに集まってくる人は同じ趣味を持ち共感できる人だろうと思います。
人と価値を共有するということです。
お金があれば幸せになれる訳じゃなく、お金をどう使うかで楽しめるかどうかが決まる訳です。
農村留学するなんてこともあります。
スローライフを楽しむということもあります。
聞こえは良いのですが、ゼロ円ではスローライフもできません。
過酷すぎる労働が待っているだけで、逆に元に戻る人もでてきます。
憧れだけでなく、キチンとしたビジョンがある人でないと結局はスローライフをしようがお金持ちになろうが幸せにはなれない。
私はそう考えてます。
ここでもっとも大事なことはやっぱり人なんですよね。
家庭菜園しても自分だけなら一人の楽しみです。
それが良いとか悪いとか言っている訳ではありませんよ。
でもなるべく沢山の人と共有できれば同じお金を使っても意味が違ってきます。
憧れだけのスローライフではなく、人とどう関わりながらそれを楽しめるかを考えないと単なる理想に終わります。
お金があってもなかってもやっぱりそこには人との共感があるのだと私は考えてます。
幸せになるかどうかは、物ではなくそういうコミュニケーション力なのかもわかりませんよ。
やっぱり人は人の中でしか生きられない。
これだけはAIにはできない部分なんだと思います。
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