ある障害者施設に勤務している患者さんからのメールでした。
とても興味深い内容です。
治療で大事なことってなに?
って基本的に問いかける重要な問題点だと思います。
決して文章内容の障害者の話ではありませんよ。
もっと大事な問題です。
興味があったら読んでください。
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私は現在、障がい者の福祉施設でパート勤務しているのですが、 そこに特別支援学校の高等部を卒業したばかりの男の子がいます。
重度の知的障害者と言われる人なのですが、 先日、彼が絶対的な信頼を置いている高校時代の先生が様子を見に来てくださって、 いろいろ興味深いお話しを聞かせてもらいました。
その先生に出会った高2ま で、彼は授業でも給食でも関係なく、 ひとりベランダで過ごしていた。(例にもれず給食がきらい) 先生たちが引き戻そうとしても、暴れて抵抗するので 「何もできない子」「手が付けられない子」という「諦め」という見方しかされていなかった。
でもその先生は、彼の力を信じ、抵抗するということは、言葉にできない苦しさを表現している。
放っておかれることを望んでいない、むしろ寂しいのだ、と 暴れる彼に根気強く声をかけ、ひっくり返した給食の片づけを一緒にやって、、、
そういう時間を積み重ねたそうです。
彼との信頼関係が結べたら、彼はその先生の言うことをなんでもよく聞いて、 授業も作業も、 苦手な体育も給食も頑張るようになった、とのことでした。
ちなみに給食は、お母さんから 「食べていないと空腹で帰宅してから機嫌が悪いから食べさせてほしい」と要望されたそう。
先生いわく、彼は「人を信頼する」という世界を知らなかった。
彼は僕を信頼してくれた、それは僕が彼を信頼したから、とも言われていました。
そして、長年の経験から、障害児といわれる子どもたちとの付き合いに、 障害の分類や教育方法なんて関係ない。
彼は彼、たった一人の彼なのだと言われていて、
同時に昨今の教育現場にある、病気や障害を細かく分類したりだとか、
○○法といった教育法に頼りがち だったりな風潮を、懸念されていました。
以前お話しさせてもらった彼のことは、ずっと私の宿題ですが、 ひとつまた、勉強させていただいた思いでした。
(以前投稿してもらった内容はこちらをクリックして確認してください)
お忙しい中、失礼いたしました。
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障害者の話ではありません。
姿勢の話しです。
○○法といった教育に頼りがちだけど、大事なことはその人を診ることなんです。
方法論はあってもいいです。
でも方法論はあくまでも方法論であって全てではありません。
そして方法があるとしたらその人にしか通用しない方法なのです。
治療が上手くなりたいと思ったら、やっぱりその人の治る力を個別に信じてあげないと・・・。
そこからがスタートなんだと思います。
上手くなりたいなんて思わなくても、それができれば初心者とかベテランという区分なく自然に上手いです。
そして方法論に頼らずその人を診ることです。
もちろん、全ての人にそれができるかというとできません。
でも治る力を信じている治療家ではありたいと思いますよね。
私も反省する部分がおおいにあります。
確かにそれを信じられないと思わされる方もいらっしゃいます。
その気持ちを信じる力に変えていければなと思っています。
どうですか?
病院へ行って、これは治りません。
みたいに言われたことがあったり、年やでな~。
なんてはぐらかされたりしたことってありませんか?
よく聞く話しですよね。
ヘルニアだからとか、狭窄症だからとか・・・。
これは仕方ないとか・・・。
本当でしょうか?
治療家なら、それは本当でしょうか?
と疑うことぐらいはしてもいいんじゃないかと思います。
やってみたら違ったみたいなね。
全てじゃなくて良いと思うんです。
一つでもそういう例を作っていくのが臨床家なんだと思います。
臨床家と理論家の違いです。
今は理論家の人が多くて・・・。
頭いいんですよね~。
良すぎて現場と合わない。
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