量子力学のことはサッパリわかりません。
時間をかけて学ぼうと思った時もありましたが、難解すぎてわかりません。
しかし、観測している時にしか月が存在しないというのはわかります。
観測していない時、月があるとは誰も証明できない。
ということですよね。
例えば、私自身がいなくなったら私にとっての月は存在しないことになります。
そもそも世界が存在しない。
私という観察者がいることで月を観測することができる訳ですからね。
他の人が見ている月は私が見ている月とは違う。
あくまでも他人の見た月なんですよね。
この意味は良くわかります。
面白いのは量子力学の世界でこのことを真剣に議論しているということです。
昔面白い経験をしたことがあります。
小学校か中学校の時だったと思います。
自分の眉毛をジッと見ていました。
ただジッと見ていました。
これは自分が観察しているというのをハッキリ認識していました。
そこに眉毛はありました。
当たり前と言えば当たり前過ぎる話しなのですが、ジッと眉毛を見続けていると・・・。
なんと自分が眉毛になったんです。
なんじゃこれって思いましたね。
観察しているはずの私がいなくなり、観察している眉毛そのものが私だったのです。
普通の人から見ればアホな話しと思われるかもわかりません。
でもただ眉毛が存在しているんですよね。
自分じゃなく眉毛なんです。
もちろん、そのことを周りの人に言っても「はぁ~?」
っていわれただけです。
もちろん薬やっていた訳じゃないですよ。(笑)
子供ですからそんなことすら知りませんでしたしね。
ただ疲れて鏡をたまたま見ていて眉毛がもの凄く気になったんです。
なんで眉毛ってこんなところに毛が生えとんのやろ?
ってちょっと疑問に思いながら見ていたのを覚えています。
面白いのはその後です。
疲れていたはずなのに滅茶苦茶身体が楽になって、ええ~信じられない!!
って思ったことです。
観察者が観察されるものそのものになった瞬間なんですよ。
私という観察者は観察されるそのものの存在だったということだったのです。
この経験はクリシュナムルティの話しともの凄く一致するな~って思いました。
だから20代でクリシュナムルティを知った時は何度も何度も読み返しました。
観察するものは観察されるもの
っていう言葉が身にしみてわかっていたからです。
こんな言葉で言い表せるんや~って思っていました。
これって量子力学を超えているんじゃないかな~。
そう思います。
あくまでも観察している人がいる限り観察物という対象があります。
対象そのものになってしまえば観察している人なのか、その対象物なのかが全くわからなくなりますね。
それって別に普通のことなんだと思っていました。
しかし、量子力学の話しをはじめて聞いた時にええ~そんなんあり~?
私の経験そのままをもの凄く近い形で言い表しているやん!!
って思ったのを覚えています。
でも言葉であらわせる程、空想の産物ではありません。
その現象そのものは超リアル。
そうなったとしか言い様のない現実です。
この体感を知らない人のために量子力学があるんだな~って思います。
自転車に乗れない人が補助輪をつけて乗っているようなものです。
自転車そのものに乗っている訳ではありません。
それと同じです。
量子力学は限りなく宗教に近いことを言うようになってきました。
しかし、量子力学も宗教も補助輪をつけた自転車です。
あの強烈過ぎる体験に比べたら言葉や考え、論理は陳腐なものです。
知識は感覚を超えることはない。
量子力学は学べてもこの感覚は学べない。
だからいくら勉強してもこの世界を理解することはない。
嘘だと思うなら眉毛を見続けることですね。
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