身体には記憶が残ります。
これってホントにあると思うのです。
それをよくあらわしているのが爪です。
爪の形って記憶してんの?
って思うぐらい同じ生え方をするんですよね。
私自身のことですが、以前、足の親指を思いっきり角でぶつけて半分めくれ上げるような感覚になったことがあります。
いた~!!
って思っていましたが無視してました。
数日後気が付いたら紫になってました。
よくある話しですよね。
その時に足の母指が二重にはえるようになってきたんです。
なんじゃこれ~?
って思いながら放置してましたが数年治らなかったです。
こりゃ~爪が記憶したなって思ったので、爪をヤスリで少しずつ削って盛り上がった爪を下げていきました。
少しずつ変化させないと駄目みたいですが、最初はそれなりに削りました。
そのあと徐々に削っていくと・・・。
まともにはえかわったんですよね~。
爪って生え方を記憶するんだと思います。
爪が記憶するのなら、皮膚も記憶するでしょ。
爪が記憶するのに皮膚が記憶しないということはない。
皮膚は免疫とも関係あるし、内臓とも密接にかかわっています。
皮膚が記憶して内臓が記憶しないことはない。
身体全体で記憶するのです。
記憶といっても頭で理解して残るような記憶じゃありませんよ。
高いところにのぼったら下半身が抜けるような感覚って誰でもあるはずです。
それって人間は地面に立っていないと生活できないという記憶とつながっていると思うのです。
空を飛ぶ生き物じゃないという記憶です。
生まれた時からというより立ち上がって転倒を繰り返した時に覚えた記憶だと思います。
原始感覚なんでしょうね。
この原始感覚を利用した方法が筋力検査法であるとも言えます。
だから常にそれにアクセスしていなければなりません。
そこから英智を得なければなりません。
そうでないと治せないものが沢山ある。
それは常識を越えてます。
幾万通りもやり方が存在します。
これこれにはこういう処置なんてことは絶対にあり得ない。
だから方法論は過去の遺物なのです。
方法論にこだわると必ずしっぺ返しをくらいます。
だから今目の前にいる患者さんには適応されない。
だから自由なのです。
みんな不自由になりたいとは思っても自由になりたいとは思わない。
完全な映画のマトリックスです。
そんな状態で生きてます。
過去の蓄積されたデータにのみしがみつくのは治療家本来の形ではありません。
そのためには感覚を研ぎ澄まさないといけない。
しかし、これがわかっていてもできないのです。
一生かかってもできるかどうかわかりません。
でもやり続けます。
それしか自由になる手だてはない。
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