例えば肩の痛みを訴えて来院した方があったとします。
治療して良くなりました。
カルテに記録も残ってます。
どういう治療をしたかだいたい想像はつきます。
次回来た時は、その症状はなくなっていて違う症状を訴えていました。
治療は効果的だった訳です。
その次に来た時にはまた同じように肩の痛みを訴えてます。
同じ状態かな?
って思う訳ですよ。
しかし、全然原因が違う!!
同じ人で同じ症状なのに同じじゃない。
なんなんそれ~?
って思う訳です。
カルテをとって記録を残すことはとても大事なことだと思うのですが、同じ症状を訴えているのに原因が違うのでまた一から探さなきゃいけない。
疲れるんですよね。
つまり同じ症状でも関連性はないのです。
そんなことが日常茶飯事です。
そんな時よく訴えを聞くと違いがわかります。
前回痛みが出た時とちょっと違いがあるのでは?
と聞くとそうだと言います。
でも簡単には教えてくれません。
なぜなら、痛いということに囚われているので、痛いことしか言わないんですよ。
以前より酷い痛みだと言ってきたりします。
だから最初からこれは前回とは原因が違うなと感じたら、直ぐに痛みの感じが違いませんか?
ってこっちから問いかける訳です。
この時間を無駄にするとそれだけで押し問答することになります。
そうすると動かさなくても痛いような感じ!!
って色々聞いてやっと答えてくる訳です。
ほら全然違うじゃないですか・・・。
前回は動かした時の痛みだったでしょ?
今回は動かしても動かさなくても痛い。
全然違うんですが・・・。
忘れているんですよね。
痛いことしか頭にない。
前回より痛い!!
なんて言い出す訳です。
質が違うんだから基本的に違うでしょ?
って思うのですが、痛いのは同じってことです。
まあそりゃ~そうなんですけどね。
こういう時に術者はブレないようにキチンと状態を把握する必要がある訳です。
これは意外に高度な技術なんですよね。
患者さんは痛いということしか頭にないですからね。
訴えに振り回されるとそれだけで時間かかるんですよね。
過去の治療は全く参考になりません。
だから過去の記録を参照しても全く正しい治療は不可能になります。
患者さんの訴えに振り回されることも治療家を疲れさす大きな要因です。
口先の訴えではなく、身体から出る訴えを聞かないとね。
これがまたつかれるんですよ。
だからこちらから身体に問いかける訳です。
そうしないと何もわからない。
弁証法と言って患者さんの訴えを聞いて判断する方法があるのですが、これは逆に難しいと私なんかは思っています。
正確には答えてくれませんからね。
そして時間がかかりすぎます。
それを毎回繰り返さないとわからない。
余計なことも喋ってくれます。
「ああ~そういえば思い出した。ここも痛かったんだ~」
と言ってその痛かった経緯を長々と話しをしようとします。
こちらが集中して身体の訴えを聞こうと思っているのにです。
訴えを言いたがる人もいます。
そうかと思うとこちらが問いかけてもあまり答えたがらない人もいます。
ホントに千差万別
それに何とか対応しようと必死になります。
疲れるんですよね。
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