プラシーボって不思議ですよね。
科学者は忌み嫌う言葉のような気がします。
科学的じゃないなんて言われます。
でもでもよ~く考えればプラシーボは紛れもない事実です。
そしてこれは疑似薬だとわかっていても効果がある訳です。
そもそも現象を解明していくのが科学でしょ。
プラシーボがなんで起こるのかをもっともっと解明すべきですよね。
脳の作用がどうとかいうのはホントに陳腐な説明です。
それだけで説明したとすること自体ナンセンスです。
意味不明の説明をつけてプラシーボを解明したというのはあまりにも問題です。
何が疑問かって人によって差が起こるからでしょうね。
同じ現象が同じように起こらないと科学者は納得しないってことなんでしょう。
とても狭い世界のように思います。
プラシーボが発動する条件が揃えればプラシーボは自然に発動する。
でもその条件は、様々な要因があるので、方法論にはならない。
つまりパターン化されない。
個人的な問題が大きいので、方法論を確立することができない。
だから科学者は納得しないのかも知れません。
できたりできなかったりするなんて許せないんでしょう。
でも物理の世界は、できたりできなかったりするという現象が実験で確かめられてきている訳ですよね。
しかも物質の存在において疑問を投げかけられている訳です。
偶然も科学です。
偶然できた。
偶然できなかった。
これを科学が認めはじめてきている。
確立じゃないですよ。
確立は不正確です。
右か左なら1/2です。
どちらでもいい訳です。
正解はない。
確立は正しい答えを出してはくれません。
確立はあくまでも確立であって、それに則ってもうまくいくはずがない。
というかうまくいくのもうまくいかないのも八卦みたいなもんです。
当たるも八卦、当たらぬも八卦
確立に委ねる人生なんて正しいですか?
自分で決めなきゃね。
最後まで自分で決める。
それで死んでも仕方ない。
そう思えなきゃ正しい答えなんて出るはずがない。
そしたら感性を高めるしか方法はない訳ですよね。
そして自分が決めていくしかない。
誰にも責任転嫁できない状況を作らないと自分で決める能力なんて発揮するはずがない。
常識的なことであろうと非常識的なことであろうとも自分が今決めたことには自分で責任をとるしかない。
それが悪い結果になったとしても自分の責任だと理解して生きないとね。
人のせいにして生きてくなんて自分の人生じゃない。
確立はいくら高い確率であっても100%はありえない。
1/1000に自分があてはまらない保障はどこにもない訳ですからね。
ロシアンルーレットと同じです。
それに自分の身を捧げるなんて馬鹿らしいと思うのは私だけでしょうか?
プラシーボを発動させることで偶然を呼び起こすことは可能なはずです。
人から非常識と言われてもそれができれば良い訳です。
非常識が正解と言っている訳じゃないですよ。
どんな手を使っても良くなるものなら良くしたいって思うことが大事ということです。
良くなったものの勝ちです。
どれだけ科学的で確立がどうだとか言っても良くならなかったらアウトです。
考え感じる。
それに焦点を合わせる。
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