散歩をしていると気づくことがあります。
冬は、散歩しながら鼻歌を歌ってみると自分の声の反響が遠くまで通るような感覚になります。
しかし、少し暖かくなってくると、声があまり遠くまで通らなくなっていきます。
途中で押し戻されこもるような感覚になってしまいます。
春から初夏にかけて清々しく感じるわけですが、声の通りは悪くなったりします。
草花が冬より増え、ホコリも舞うからかも知れません。
春は生命の存在を感じられますからね。
散歩をしていてちょっと気づいたことですが、こんなことでも自分が注意深くなっていると季節を感じたりすることがあります。
引っ越しの時に家具などがないと声が響いたりしますよね。
しかし家具があると声があまり響かなくなると思います。
この原理と同じなのかなと考えたりしながら散歩をしていると、単なる散歩でもとても楽しいのです。
冬の間は、家具のない部屋のように声が遠くまで通るようです。
生命が活力をなくしたからというより生命が力を蓄えるために休んでいるんだと思ったりもします。
家具を置いた部屋を夏、家具のない部屋を冬と考えると部屋が夏色なのか冬色なのかがわかりますよね。
何も置いてない部屋で寝ると体調が良くなるという話がありますが、何も置いてない部屋は冬の部屋、物の多い部屋は夏の部屋、冬の部屋で寝ると頭がスッキリしてよく寝られるからかもわかりません。
逆に夏の部屋だと重苦しくてチャンと寝られないからかもわかりません。
夏が好きな私にとっては物がある部屋の方が好きなのですが、頭冷やした方が良いな~(笑)
日本人って小さな世界から大きな世界を覗くことができる民族だと私は思っています。
決して大袈裟なことはしないけど、小さい窓から見た景色を宇宙にまで広げる広大な思考力と想像力を持っている民族です。
身の回りにあるちょっとしたことと世界をつなげて物事を見たり想像したりすると、小さい世界でも大きな世界でも同じ楽しみが味わえる。
井の中の蛙大海を知らずという言葉がありますが、大海に出たから知るのではなく、大海に出て感じ考えてこそ知ることができます。
世界を旅行して帰って来た人でも世の中の大局を殆ど見ていない人もいます。
小さい世界しか知らないのに深く考察し、その中に宇宙を発見する人もいます。
楽しみ方は人それぞれですが、大事なことは、感じて考えるということです。
知識だけを詰め込んでも何も役には立ちません。
私のように日々の生活で半径5㎞圏内しか行動しない人間であっても、世界や宇宙を感じることはできるのです。
ワザワザ世界旅行に行かなくても身近なもので綺麗なものや自然を発見することができるのです。
そのためには工夫が必要ですが、世界に行っても工夫しなければ一緒です。
宇宙に目を向けてロケットに乗って火星に行く夢を持つ人もいます。
散歩で季節を感じて地球の息づかいを知る人もあるってことです。
どちらが良いとか悪いではなく、どう感じてどう考えるのかが一番大事なことだということですね。
身体の観察は小さい世界から宇宙を除く唯一の方法です。
何々の修行をしなければできないことでもありません。
大事なことはやって感じるということです。
小さい世界から世界をみたい!!
って思ってます。
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