時々思うのですが、骨格が歪むっていいますよね。
骨が歪むんじゃなく、骨を動かす筋肉や靭帯が歪んで骨が歪んだように見えるということなんだと思います。
足の長短はその典型でしょうね。
それに伴って当然ですが動きも片寄ります。
右足があげにくい、左足があげにくいというような動きに影響がでてきます。
それならば!!
なぜ内臓が歪むと言わないんでしょうか?
答えは簡単。
見えないからです。
骨格の歪みは見えても内臓の歪みは見えないから言わないんでしょうね。
でも見えないからといって骨格が歪んでいるのに内臓に影響がでないはずはありませんよね。
内臓の歪みは必ず筋肉や皮膚の表面にあらわれてきます。
もちろん動きにもあらわれます。
ある肩関節周囲炎の人ですが、肩の動きが胃腸と関係がありました。
消化器官の問題があります。
消化器官って口からはじまりますので調べてみると口腔は右、食道は後上、胃は右下という形でところどころが捻れる感じで問題がでています。
右の顎、左背中、上腹部に手をそれぞれ当てると肩があがりやすくなります。
つまり、肩は胃腸の影響を強く受けて肩が上がりにくくなっていたということになります。
内臓にも歪みがあり、そのあたりに手を当てるだけでも動きがよくなります。
そして口腔は最上部、食道は中間、胃本体は下にありますよね。
捻れは必ず左右が同じ場所にでることはありません。
物理的に考えれば当たり前の話しですよね。
単純に胃が悪い。肝臓が悪い。
というのではなく肝臓のどの位置のどのあたりと、どのあたりという情報が得られなければ目標を見失ってしまいます。
身体の反応をみていても曖昧な情報しか得られません。
だから効果をあげることができなくなってしまう訳です。
そしてその前後があります。
これを診断できるようになるのが筋力検査法です。
筋力検査法は考えではありません。
徹底的に考えを排除し、感じることに徹するという検査法です。
感覚しか使わない検査法なので、できる人とできない人があります。
それは確かです。
だから非科学的と言われます。
なぜ、誰にでもできる必要があるのか?
誰にでも手順を踏めばできるのを客観と言うならば、誰にでもできないものがなければなりません。
全ては対極です。
客観に拘れば主観がおろそかになり、主観に拘れば客観がおろそかになります。
客観でもなければ主観でもない。
言葉を言葉として扱う。
この意味わかるかな~?
治療家は是非この意味を考えて欲しいなと思います。
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