人はうわさばなしが好きです。
なぜでしょうか?
しかし、うわさばなしをする人を簡単には批判できませんよ。
なぜなら、自分の頭の中もうわさばなしで一杯
例えば軽装でハイキング的な登山をして、思ったより帰りが遅くなってしまいまわりが暗くなってきたとします。
ハイキングのつもりが、まわりは見にくくなって懐中電灯ももちろんもっていません。
完全に夜という訳ではなくても薄暗くなってきた時、頭の中ってうわさばなしばかりになりませんか?
安定している時は良いのですが、不安定な時、頭の中はうわさばなしを沢山します。
ただひたすら目の前にある道を見つけしっかりと歩いたら良いのですが、頭の中で色んなことを考えて、怖くなって前にすすめなくなったりしませんか?
うわさばなしは、世間の話しではありません。
自分の中にあるうわさばなしで頭がいっぱいになることです。
オイルショックというのがあったのを知ってますか?
石油がなくなる。
石油製品がなくなるからトイレットペーパーがなくなるというデマが流れてみんなが買いあさった時代がありました。
今考えたら馬鹿らしいことだと思うかもわかりません。
よく考えたら石油がなくなると、プラスチックも医薬品もなくなる訳ですから、何故トイレットペーパーだけがなくなると信じたのでしょうか?
今ほど情報がなかった時代です。
もちろんインターネットもありません。
しかし、正しいとされる情報が多くなればうわさばなしはなくなるでしょうか?
うわさばなしの根元は、情報の正しさではありません。
不安を煽るようなものでなくてもうわさばなしは起こります。
絶対になくならないです。
正しい情報を!!
というスローガンを掲げている人いますが、どれだけいっても正しい情報は流れません。
逆に情報が多くなればなる程うわさばなしは、ひろがったりします。
それが証拠にインターネットがこれだけ発達してもうわさばなしはなくなりません。
芸能人のうわさ、政治家のうわさ・・・。
新聞やテレビを見ても見なくてもインターネットでもうわさばなしばかりです。
誰々選手が不正をした。
その選手のおいたちや経歴から様々なデマが飛び交います。
あきらかなデマなのに、勝手に予測して、こうなるはず!!
なんていう似非評論家がでてきたりします。
でもそれは自分の頭の中でも同じことが常に起こっています。
世間で起こることは自分の中でも起こります。
逆に自分の中でおこることは世間でも起こります。
インターネットの情報は何割かがこういう予測的デマが流されているんだなと思いました。
キチンと調べてないのに勝手な想像で決めつける人達がいる訳です。
そしてそういうデマを流している(本人はデマを流しているつもりはない)人は意外にも頭が良くて、常識のある人だったりするんですよね。
それを利用して情報を操作したりする人もいます。
面白い構図になっているなぁ~って思います。
でもうわさばなしって、ハイキングに行って暗くなった時に頭の中に浮かぶ思考となんら変わりないんですよね。
不安になるからうわさ話をしたくなる訳です。
自分の中のうわさ話を見ているとインターネットのうわさ話も馬鹿にできないなって思います。
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