世界と自分がひとつになる。
凄いタイトルですが、なにも世界平和を訴えている話しではありません。
とてもとても日常的なことです。
世界はひとつとか、人類皆兄弟というような言い方をする人がいますが、どんな意味でそれを言って、どんな意味があるのかが分かって言っているのかな~って思います。
本当に世界と自分がひとつになった時、自分という壁を越えてしまう訳ですからね。
中学校の時、たまたま鏡を見つめて自分の眉毛をじっと見ていました。 その時に徐々に周りが暗くなり、言い知れないような感覚に陥ったことを覚えています。
かなり特殊な体験で、しかも中学校の時ですから何が起こったのかもさっぱり分かりません。
とてもとても暇だったので、ぼーっとしながら鏡を見ていた時にそれは起こりました。
今から考えると暇って大事なことなんだなぁ~って思います。暇でなければ、こんな経験しませんからね。
なぜ眉毛を見ていたのかも覚えていません。
そしてジッと見ていると遂には自分が眉毛になったのです。
中途半端な感覚ではなく、まったく眉毛そのものになりました。
鏡の中に映る自分の眉毛が、ひとつの世界になったということです。
眉毛は私、私は眉毛?
って思えたことです。
これは、臨死体験によって世界がひとつになるという状態と同じ。
よく臨死体験をすると三途の川があり、お花畑が広がるというような表現すると言いますが、これは案外世界共通の出来事らしいです。
臨死体験は自分が世界の一部になった状態と言えるのではないかと 解剖学者の養老孟司博士も自分の壁という本の中でこのことを書いています。
脳科学者が30代半ばで脳内出血を起こし、その時の状況を克明に記した本が話題になりましたが、その中でも自分が溶けていくような感覚で、世界とひとつになっていく様子を克明に記録しています。
私の体験もそれによく似ていて鏡の中に自分が吸い込まれるような感覚になり鏡と自分の区別はまったくなくなり、身体という感覚もなくなって、最終的には眉毛になったのです。
一般の人が聞くと笑い話かもしれませんが、このような感覚が人間の脳の中には存在しているように思います。
その感覚を得た時に、今まで味わったことのないような体の軽さになったことを覚えています。
今でもその体の軽さは忘れられません。
その後、同じことをしようと思ってもできませんでした。
というか一度味わってしまえば、こういう世界があるんだなぐらいにしか興味がわかなかったのです。 知識も何もない状態でおこったので、何がどうなっているかはさっぱり分かりませんでした。
一瞬気が狂ったかとも思いましたが・・・。まぁ普段から狂っているので、驚きもしませんでしがね。
大人になってからでもそういうこともあるのかなぐらいにしか思っていません。それは今でも同じかなぁ~。特別なことじゃない。
このような体験というのは、一度やってしまえば何度も体験する必要はないように思います。
スポーツのように、人との比較はないので、上手くなる必要もなかったからだと思います。
確かに人生観は変わります。
だから中学校の時から変な子供だったと思います。(笑)
実は、このような体験は、中学校の時が初めてではありませんでした。
幼稚園の時、夏の暑い時でした。
たぶん幼稚園の帰り道だったと思います。
いつも近所の友人と一緒に帰るのですが、その時は、たまたま一人で帰っていました。
遠方に幼稚園があったので、長い道のりを淡々と歩いていました。あと少しで家に着くという距離で、丁度材木の置き場のところにさしかかったころです。
歩道には沢山の柳の木が植えてありました。その柳には沢山の蝉がミンミンと泣いています。
今でもその時の状況を思い起こせるのですが、その時、自分と蝉の声が一体となって、自分と世界を隔てる境界がなくなったような感覚を覚えています。
歩いているのに歩いている感覚がなく、セミの河の中を船でスイスイと移動しているような感覚に陥りました。
自分が自分から離れていく感覚や自分を自分が見ているような感覚。
つまり幼稚園児から変態だったんだと思います。(笑)
しかし、そのことを大人になってから私の友人に話すると、誰でもあるよなー。
って言われたので、そんなものだなと思いました。
私の友人達も変態だったんだと思います。
マラソンの野口みずき選手は、金メダルをとった時、ツチノコを見たと言います。
あの話し嘘じゃないと私は思っています。
マラソンもそのような体験をよく起こしますよね。だからマラソンに嵌まる人が多いんだと思います。あんな苦しい思いしなくても簡単になるのに・・・。
大人になってから色々なことを学んでいくと、このような体験が、神秘体験だったんだということがわかりましたが、そんな特別でもないことに興味を持ちませんでした。
しかし、私の治療の目指す筋力検査は、常にその時の感覚を再現しなければなりません。
だから毎日当たり前のようにそういうことをやっています。
特殊なことでもなければ特別なことでもありません。
それが当たり前の日常です。
最近このような感覚を、常に出せるようなコツを発見しました。
とても簡単な方法でしたが、どのように説明していいかが分かりません。
その時の感覚をただ思い出せばいいだけです。
世界と自分はつながっている。
ただそう思えばそうなるのではないかと思います。
そこには何の緊張もなく、そうなろうと思う気持ちもなく、ただ当たり前のようにそうなる。
そんな感覚になってしまえば良いだけだと気づきます。
だから意識を集中させる必要もありません。
苦行をする必要もない。
人間の感覚というのは本当に面白いですよね。
そして意識は必ず伝播します。
私の感じていることは、人にも伝搬します。
触れれば更に伝搬します。
そういうことを勉強会に来てもらうと、体験してもらえるのではないかと思います。
技術ではない技術がそこにはあります。
特に最近そのことがよくわかってきました。
そうなる方法を色々を考えましたが、全く間違っていたなぁ~って思います。
そんなことに特別な意味をもたせる必要もない。
そんなことに名前をつける必要もなければ学問も技術もいらないのだなと思います。
でもその状態になると一瞬で身体は変化します。
ほんとはそれだけで治療になるんだなと最近よく思います。
そして、どれだけ神秘的な体験をしたところで、その人はその人です。
それで大きく人生が変わったとか言う人がいますが、もしそうなら元々そういう人だったのです。
それに気づいただけです。
それを知っていればいいし、思い出せばいい。
集中する必要もなければ、意識を合わせる必要もない。
ただ思えばいい。
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