解剖学者の養老孟司博士は著書の中で、意識は自分をえこひいきする。
と書いています。
なんのこと?
って思いますが、子供の素朴な疑問の中で、「口の中にある唾は汚くないのに、どうして外に出すと汚いの?」
と言われてハッとする大人の会話を書いています。
確かに自分の唾であっても、コップいっぱいに唾を貯めてそれを飲みなさいと言われれば嫌ですよね。(食事中ならごめんなさい)m(_ _)m
自分をえこひいきしていると答えれば納得がいくと言います。
とても面白い話しですよね。
たしかに!!
外に出た自分のものは、自分以外のものになるので、嫌だ、汚いと感じるのでしょう。
かなりのえこひいきだと言ってます。
自分との境界がなくなるとどうなるのか?
空気と自分が同じになる。
外と内の区別がつかなくなる。
ということが起こるのではないでしょうか?
昨日の投稿でも、そういう意識の状態を書いてみました。
ここで大事なことは物質的なことではありません。意識の問題です。
外と内というのは意識の状態で変化するということなんだろうと思います。
この話しをしたかったので、昨日は、自分の体験を書いてみました。
外と内を区別するのは、自己が中心に来ているからです。
綺麗好きと言われる日本人ですが、意外にも日本の環境というのは、あまり、自己を主張しませんよね。これは、世界でも特種な国なんだろうなと思います。
私はうどん、私はソバ、私はソバでも天ぷら蕎麦。
バラバラに注文するより、同じものを頼めば、同じ時間でくるから、同じものを頼む。
なんてことも考える民族です。
だから、主体性のない民族と言えます。
それが良いとか悪いとかではなく、そういう民族性を持っているということですよね。
その割には、内と外の区別をハッキリし、綺麗好きな民族という矛楯があります。
アメリカ人の方が、日本人よりは、汚いことに平気な民族なように思います。
だってお風呂とトイレが一緒になっていたりするでしょ。
あれはなかなか日本人には受け入れがたいですよね。
日本で育って、主体性を持ちなさい。
という教育が果たして良い教育なのかどうか?
ディベートをしっかりしなさいという教育が良い教育なのかどうか?
日本人としてはとても考えものですね。
個性を伸ばすと言っても、そんなもの伸ばさなくても、身についているのが個性です。
個性を伸ばすのではなく、個性は気づくものです。
この話しをなぜしたのかと言うと、意外にもこれが意識の治療に役立つからです。
続く・・・。
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