触れているより、手をかざす方が緊張が緩むというのは、考えにくいというか、刺激ではないと普通なら思うはずです。
しかし、よく考えてみてください。
例えば、全く知らない人が顏と顏を10センチしか離さない状態で話しをしていたらどうでしょう?
奇妙ですよね。
知り合いでも、そんな話しの仕方をしません。
そんな話しをして成立するのは、恋人通しが親密な話しをしている時ぐらいではないかと思うのです。
何を言いたいかと言えば、身体にはテリトリーがあり、皮膚で終わっているのではなく、体外にもエネルギーを放出しているんじゃないかと考えられることです。
テリトリーとは、自分自身の守備範囲でしょう。
通常は皮膚までが体内ですが、体外は身体とは言いません。
それでも感覚的には存在しているということです。
体外へエネルギーの放出がうまくいかない部分を補助するような形で手をかざしてあげると身体の緊張が正常化される。
ということがあり得るのではないかということです。
あくまでも、これは、一定の条件が揃わないと起こりません。
もちろんTL(セロピーローカライゼーション)でも同じで、一定の条件を満たさないと、ただ手を触れただけでは変化は起こりません。
状j兼設定には、色んなテクニックがあるのですが、できるだけ詳細に、その人の身体を分析することです。
そういう分析をしていると、その人の身体が開いてくるというか、訴えを起こしてきます。
そこで手をかざすという刺激をすると身体が変化します。
何の分析もなく、同じことをやっても効果はないか薄い。
条件設定とはズバリ意識です。
つまり考えていることです。
どんな状態にあって、それをどうしたいのか?
という思考をしている時、その分析が正解に近い時にだけ身体が変化するのです。
そんな馬鹿な!!
考えていたら身体が変化する訳ない。
なんども条件を変えてやってみることです。
やっているとコツがわかってきます。
だから同じ刺激をしても同じ結果にはならない。
そういう現象が起こる訳です。
科学的というのは、誰がやっても同じにならなければならない訳ですからね。
思考や意識というのは、科学的にまだ解明されていない。
だからないという訳ではないのです。
同じ思考や意識をするとやはり再現性があります。
最初から、そんな現象は起きない。
と思っていたら絶対に起きません。
患者さんがどう思っていようが関係ありません。
ただ変化があったのに気づかない患者さんというのはいますからね。
でもよく観察していると動きが変わりますから第三者は確認できます。
以前も書いたと思いますが、それが「場」なんです。
ここで言う「場」は質量とかそういうことではなく、人間の思考のエネルギー場とも言えるものです。
思考力が強い人程、その場を変える力があります。
その力がないと治療をしても、場が変化しないので、単なる刺激に終わってしまう訳です。
だから闇雲に痛いところに鍼をズブズブと刺しても刺激としては、成り立ちますが、場が変化する程はエネルギーがないと言えます。
そのことにもっともっと多くの治療家が気づいて欲しい。
そう願っています。
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