認識は、そのものが治療になります。
腰が痛いとします。
認識はできれば詳細に行いたい。
ただ痛いというなら幼稚園の子でもわかります。
痛いのか、痛いのが怖いから痛いのか?
これを理解するだけでも痛みに大きな違いがあります。
人間には他の動物にはない考える力があります。
立ち止まって考えてみると、そう酷くない痛みであったりします。
その見極めをすることが何よりも重要なのです。
見極めをするには、痛い動きをしないとわかりません。
ワザワザ痛みを出す必要はありませんが、どこまで行くと痛いのかがわかっていないと治しようがない。
というか、どの程度悪いのか、どの程度良くなったのかがわからないのです。
本当に痛い時は、痛くて声も出ません。
しかし、そんな痛みは稀です。
普通は、痛くても普通に話しはできます。
その時にできるだけ詳細に痛みの概要を知ることは、とても大事なことです。
分析です。
そこで刺激を与えると、どのような変化があるかを観察する。
刺激の質を変える。
強い。弱い。最弱。刺激しない刺激、また術者の意識を変化させるだけ
とどんどん弱い刺激に変化させてみます。
すると、如何に弱い刺激でも身体が変化するがわかります。
逆に弱い刺激の方が変化が起こったりします。
信じられないと思うかもわかりませんが、どこに行っても良くならなかった痛みや慢性的な痛みというのは、そういうことが多くなります。
つまり殆どは、架空の痛みだったりするのです。
痛いところが悪い訳ではない痛みです。
架空と行っても本人が嘘をついている訳ではありません。
本当に痛いのですが、無意識が痛みを起こしている場合が殆どということです。
物理的に痛い場合は、そんな刺激では良くなりません。
時間も必要です。ある程度の刺激が必要です。
ただ、そんな痛みであっても、地道に調整していくと、時間はかかっても良くなっていくことが多いのです。
確かに時間はかかります。
それは否定しません。しかし、その痛みが起こる前に何があったかが重要なのです。
何が起こっていたかを探して、それを認識するのが大事です。
そういうことだったのかとわかれば、二度とそういう痛みになりません。
そこで、どこまでそれを認識できるかがわかります。
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