科学の世界の中では机上の空論というのがよくあります。
科学を否定しているのではありません。
むしろ肯定しています。
しかし、一つの事実がわかると、それが主流になって本質を見失ってしまう可能性があります。
例えば慢性腰痛ですが、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)と呼ばれる診断法が発明され、慢性腰痛と急性の腰痛では脳の作用が違うということがわかったと言われます。
ここで気をつけたい言葉は、脳の作用という言葉です。いかにも、それは科学的で正しいと思わせる何かがあるということです。
言葉には気をつけたいですね。
急性と慢性で身体の状態が変化するというのは、fMRIを使わなくても身体を普通に観察していてもよくわかります。科学というのは、実感の後から証明されるものであって、科学で証明される前に身体の観察や現象があります。知られていないだけで、先人の偉人達は、それを実感していました。
科学の結果は人が感性で認識してるものより、ずっと過去のものです。最新の科学というのは、あくまでも、それを証明する為の選択枝が一つ増えたということだろうと私は考えます。
たしかに、そういう説明をされると、へぇ~って思います。
なるほどな~とも思いますが、それで臨床が変わのか?
意外にも臨床には役に立たないことが多いのが現状でしょう。
身体をよく観察する臨床家なら、そんな情報もあるんや~で終わると思います。
参考にはなるけど、鵜呑みにはしません。
だから慢性腰痛は、こうなっているんだと患者さんに説明しても治ることはあまりありません。
というか、治らない人も無くはないのですが、説明して得る効果より、説明する時間の方が長いように思います。
こういう説明は、治療家の単なる自己満足になってしまうことが多々あります。患者より自分は優位な立場にたっているということを患者に示しているようにしか思えません。
治療家は、もっと真摯に、症状と向き合うべきでしょう。
人間の身体はケースバイケースです。微妙な異常が、その痛みと関係します。脳の説明だけで鬼の首をとったかのような説明をする治療家は、患者側に立っている治療家とは言い難いなと思います。
あと、その慢性の痛みが、精神的なことと関係があると言って、幼少期のことを根ほり葉ほり聞き出したり、そうだと決めつけてしまったりするのは、患者の状態を把握したいと言う術者側のおごりですね。
もちろん、患者側から説明を求められたら、それに答える用意は必要だと思いますが、そういう説明ができるから良い治療家とは限りません。
ここが大事なところです。
MRI画像を見せられて、こうなっているから痛いんだと言われた。
と言いますが、それじゃ~なぜ痛くない時があるのか?
そうなった原因は明確に何なのか?
という答えには絶対に答えていないし、答えられません。
つまり結果しか説明をしていないのです。
なぜ、そうなったかの方が人間としては重要なことなのではないかと思います。
だから、幼少期の話しを持ち出しても全然意味ないです。それで良くなるどころか、どうすることもできないじゃないかと落胆させることになってしまいます。
そして、その答えは頭で理解することではありません。
本人が実感するしかありません。
それがわかったら、自分が何をしてきたかもよくわかりますし、どうすれば良いのかもわかります。
それを理解することは原因を理解したことにはなりません。
ここを意外に理解していない自称科学者は、素人を含めて非常に多いと思います。
なかには、患者さんの中でも、慢性痛は架空の痛みだからと言って、納得し、なるほどと思って自分を見つめ直す機会を持つ人もいますが、それで良くなる方は、最初から問題ではありません。
まぁ殆どいませんがね。
架空の痛みだからと言っても実際には痛い訳ですから、それをどんなふうに認識すればいいの?
っていって余計に迷ってしまうだけになって終わりです。
認知行動療法が、本当に効果的な人は一部です。
説明の仕方にもよるかもわかりませんが、耳を貸そうとはしないのが普通です。
現実と空想をゴチャゴチャにしてもはじまりません。
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