最近認識について深く考えています。
認める。
ということなのですが、心と身体は認めたくないようです。
現状を把握するということがもの凄く難しい。
現状を把握する為には、分析が必要です。
「こうであって欲しい」という一切の偏見をなくすことを目標にして見ようとすることが分析をするということです。
しかし、実際には、それはあり得ない。
どこまで行っても癖が直らないのと同じように、なくて七癖です。
それならばゆるやかに認識する。
なんとなく認識する。
これが大事だなと思います。
一切の偏見をなくすことは事実上不可能なのですから、できるだけなくす。
でも癖も大切な自分だから、それを認める。
そうすることで、偏見が純粋な偏見に変化していきます。
誰しも偏見はあるのです。それを偏見がないのが正しいと言う考えが、逆に深い偏見を生みます。
科学が見落としているのはそこでしょう。
それならば偏見を認めてあげることが唯一の純粋な偏見です。
ただ、純粋な偏見を知っている必要がある。それを認識している偏見です。
今は純粋な偏見はこれぐらいあるけど、これがもっとも確からしい。
という冷静な認識があってこそ身体と心は変化しはじめます。
この意味がわかると、身体の反射がもの凄くよくわかるようになってきます。
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