事故の後遺症

バックしようとして右後から追突されたという例です。


時々来られる方なので、事故後の変化がよくわかりますし、調整後の違いもよくわかります。

事故は、情動と深く関係があるというのは、周知のとおりですが、情動は肉体に刻まれます。

だから、その情動はなかなか抜けない慢性痛にもなりえる訳です。

そんな知識があっても、実際には治せない。

一生懸命説明しようとすればするほど言い訳を作ってしまうだけです。

程々にした方がいい。


こういう場合、事故で一番問題になる肉体部分は、何かを探っていかなければなりません。

つまり、情動とイコールする身体の部分です。


すると腰椎二番、12肋骨(浮肋骨)

ここが一番問題になり、身体全体に影響を与えています。

いつもは左の首に大きな問題があります。

しかし、今回は、事故の為に身体に大きな変化がありました。

右後から追突されて、右腰にくるというのも逆にホンマかなぐらいに思ってしまいますが事実です。当然、普段から右腰が痛いという訳ではありません。

私は事故をした状況をよく聞きます。

車のどの部分に損傷が激しかったかを聞くと真正面とか、右前とか左後とか言ってくれます。また、衝撃に気づいていたかどうかも、もの凄く重要な問診になります。

衝突することを知っていてぶつかった場合と、突然ぶつかった場合では損傷の程度に大きな違いがあると思います。


しかし、面白いのはいつもの患部の反応が少ない。少ないというか無い訳ではないけどわかりづらい。常にある患部が他の影響をうけるとわかりづらくなります。

例えば右の手が痛みが普段からあるけど、左手をドアの角で思いっきり打ち付けると、そちらの痛みで、元々の右手の痛いが軽減する。

ということはよくある話しです。


でもこれを言葉(経験のない知識)だけで聞いた初心者の治療家が、説明すると、しどろもどろになります。それとも詳細に詳細に知識を述べる。しかし、本質を理解していないので、患者本人の情動には伝わらないから治せない。

ベテランの治療家が、一言で片づくことです。

とってつけたような理論では、本質を見失ってしまうということです。


頭だけで理解しようとせず、自分の経験を元にして物事を考える。そして想像し、発展させていく。

そういう姿勢がないと、知識は一律になってしまいます。(余裕のない知識)

一つのロジックを提案し、そのロジックが完璧に見える説明だと尚更、そこから抜け出せない人が増えます。人間の身体って、頭で理解できる程単純じゃないのに、それを説明しようとする。


言葉を失うぐらい綺麗な景色を前にした時、人は、本当に言葉を失ってしまいます。

それを百万言の言葉で説明しても、最終的には、要約すると、ただ「綺麗」と言う言葉にしかでません。


それを認めるか認めないか?

それを認めて、その現象をできるだけ、それに近い言葉に置き換えられるか?

まさに芸術の世界になります。詩にならざるをえない。だから芸術は必要なんです。


身体って衝撃があるとそこを守ろうとして、いつもの異常を隠します。

特に事故のような大きな衝撃があると身体全体でそれを吸収しようとします。

普通は事故をすると首に衝撃がくることが多いですが、今回は腰です。

強い痛みは訴えていません。

そこは患部ではありません。

ここを調整すると、首の異常が強くでてきます。


それを見逃さないことが重要です。

ここで症状を追いかけると、逆に身体は反発します。

何百万通りの順序と異常部位がある訳です。

それを説明しろと?

もっともっともっと広い視野を持たないと医療は陳腐なものになって終わりです。

御薗治療院

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