人間も50歳の後半を過ぎると色んなところの不調はでてきます。
その時の受け止め方は人それぞれです。
これこれが何々に効く!!
からと言っても、それで若い時に戻る訳ではありません。
少しずつ死に近づいてきます。
それを静かに受け入れる。
完璧にではなく自然にです。
そうすると、頑張らなくて良くなり、とても良い状態になる。
認めるということは、治療の中でも最上級の治療だと思います。
年をとれば、当然調子が悪くなるという当たり前のことを認めるか認めないかで、症状は大きく変化してきます。
たぶん、症状が変化するのではなく、自分が変化していくのだろうと思います。
自分が年齢に沿っていくということかもわかりません。
そうすることで症状が改善されていく。
不思議なことですが、それが真実だと思います。
老眼になると確かに近くのものが見えません。
一生懸命それを見ようとすると歯を食いしばってしまいます。
余計な力を使うことになる。
老眼だと認めると、力が抜けてなんとな~く見えるようになってくる。
良い時と悪い時があるのがわかるようになってきます。
どうしても、見なくてはいけない時があれば眼鏡をかけると見えます。
しかし、見えない時は、できれば見ないようにしていると、意外にもまた見えるようになってくる。
ホントに年をとると不思議な現象が沢山起こります。
新しい発見が一杯あって、結構楽しめます。
ぼやける文字を力を抜いて見ていると見えてきたりします。
その後、見やすくなったりします。
物事には見方があるんだなぁ~って気づきます。
きっと力を入れて見ているから見にくくなるんでしょうね。
若い時は、目をこすれば見えたりしたから気づかなかっただけで、きっと若い時も同じように疲れてみにくい時があったはずです。
それが遅延しただけと考えれば、そんなに衰えも感じません。
何をするにしても時間をかけて行える。
ということは、老眼を味わえるようになったということなのだと思います。
体力の衰えを気にするのではなく、体力の衰えを楽しめる工夫をすることがとても大事なことかなと思います。
体力が衰えることが許せない。
前はこんなことができたのに!!
って思って来院される方もいらっしゃいます。
前は、こんなに忘れっぽくなかったのに・・・。
でもね、そんなに沢山覚えてなくても良くなったんですよ。
周りの人が結構助けてくれていたりしませんか?
それなら、それに甘えることも大事です。
忘れるから新しいことが入ってくるし、前のことであっても、忘れたら、はじめて見たことのように感動できるんですよ。
凄いやん!!
年をとれば人に任せることも大事な作戦です。
若い時のように全部自分でやろうとすれば、疲れますし、体力の衰えを感じます。
全部は自分でやらない。
そうすると人が色々と助けてくれたりします。もちろん、その助けが不満な時もあるでしょう。
そういう時こそ出番です。
何が?
そうです。忘却力を使う訳です。
普段から忘れっぽいのなら、早く忘れてしまった方がいい。
この時の為に忘れる練習をしていたようなものなのですからね。(^^)/
若い時にはできなかったことでも、人の助けで沢山できるようになっていたりします。
つまり、若い時より能力が増えたということです。
自分で行えるものは減ったけど、全体としては能力があがっている。
そんなふうに生きたいですよね。
なかなかそれができませんが・・・(^^)/
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