麻痺をして手が動かない人に指だけ動かして、というと怒ってきます。
「こんな病気になったから動かないんだ」「動かせるもんなら動かしている」
と怒られます。
確かにそうだと思います。その人は間違っていません。
しかし、普通の人と同じように動かしてとは言ってません。
動かそうとする思いだけでいいのでやってみてと言います。全ては思いからはじまります。
そんなことで動くはずがないと信じています。
それも思いです。
この会話の中に動くようになる人と動かないままの人の決定的な会話があります。
それは、こんな病気になったから(それは単なる言い訳です)
動かせないんだという決定づけですね。
最初から、動かないことを決定しています。
それで本当にできるようになるでしょうか?
動くようになった人が、世の中にはいる訳です。それなら自分もできるんじゃないかと可能性を信じた方が良いと思いませんか?
もちろん、簡単なことではありません。
スポーツも同じですね。
最初は、有能な選手の競技を見て憧れます。
自分もそうなりたい!!
その人が本当にそう思ったとしたら、きっと、そうなれるでしょう。
なぜなら、そうなりたいと思ったからです。
しかし、殆どの人は、才能がないとか、時間がないとか言い始めます。
だから諦めます。
できるようになるか、できないかは、言い訳をするかしないかです。
もちろん、そのスポーツに身を投じなければならない理由は何一つありません。
違うことに興味をもってもいいし、そんな思いを忘れてもいい。
でも、真剣にそう思い続ければ、自然にできるようになっていきます。
もちろん、やり方は様々です。練習したからイチロー元選手と同じことができる訳でもありません。
ただ、真剣になりたいと思ったら、やるべきことは決まっています。
まずは言い訳をせず、あきらめないでやり続けることです。
最初から諦めて出来た人は、ただ一人もいません。
やり続けていると様々なヒントが自然に沸き上がってきます。つまり問題点が見えてくる訳です。
難しいことだからチャレンジするし、難しいことだから楽しい訳です。
同じことをしていても楽しくなるはずがありません。 しかし、やり続けていると、自分にとっての特性も見えてきます。
真剣に考え続けているとできるようになる理由を作り始めます。できる理由を作り始めた人のことを「天才」というんだと思います。
だから、できるようになることが見えてきます。
やりやすいこと、やりにくいことも見えてきます。 物理的には不可能なことも見えてきます。
でも、方向性は、決して崩れることはありません。
もしかしたら、その有名選手を超えることもあるかもわかりません。
だから高い目標を持つことを誰も阻害してはいけない訳です。
レッテルを貼ってはいけないし、そんな権利はありません。
出来ない人が、出来るようになるかも知れない人を出来ないからやめとき~とは言ってはいけないということです。
親がよく言いますよね。そういうことってね。
でも、その時に賢い親は気づきます。自分には出来ないけど、他の人はできるかも知れない。
それを阻害してはいけない!!
ってね。
その可能性を言葉や行動で阻害してはなりません。
もちろん、そんな言葉で阻害されるような思いなら、最初から強い思いではないので、きっとできないでしょう。でも、誰かは応援してあげなければ人は育ちません。何故なら人は人の中でしか生きれないからです。
決定づけることは、死ぬ一瞬前でいい。
死ぬ一瞬まで常に可能性を信じ続け生きること。
それが人間を人間らしくさせることなんじゃないかと思っています。
だから一生悩みます。
悩むから楽しいのです。簡単なことは直ぐに飽きます。
難しいから続けられる訳です。難しいから楽しいのです。
難しいからやめた。
と言ってできた人はいない。
楽しいことって難しいことをしようと思って悩むことだと理解できたと思います。
だから楽しいことしかやってはいけない訳です。
もの凄く単純で当たり前のことです。
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