感じる事は大事だと思うのですが、感じなくても生活できるようになったと言っても過言ではないかもわかりません。それによって感じることへの期待が少なくなったようにも思います。
感じるというのは、個人の経験や感想であり、不確かな情報です。
そんな不確かな情報から導き出せるものはいい加減なものしかないと思う人が圧倒的に増えたみたいに思います。しかし、それは本当でしょうか?
肌で感じることって、色々ありますよね。
天気もその一つです。
スマホを見ると天気がわかるので、予測するのに空を眺めることも少なくなったのではないかと思います。
雲を見て感じる。
湿気を感じる。
風を感じる。
様々な経験や直感で分析し、予測する能力が少なくなったのではないかとも思います。自然の中にいないと、どうしてもその能力は落ちます。
それは仕方がないことです。現代では、その能力が退化しても困らないので、それでも良くなったのだろうと思います。全てのことができる必要はないので、端折れる能力から削っていくということなんだろうなと思います。それはそれで良いと思います。
精神的な症状のある人は、感じることが苦手みたいです。
しかし、その反動なのか、ある刺激に対して過敏にはなってます。
感覚が良いというのと、過敏は違います。
何かに対して過敏になってくるのです。
それは薬剤にも過敏に反応したりします。自然の風は良いけど、扇風機の風が駄目という例もありました。ビックリしました。
電磁波過敏症もそうでしょう。
人の言葉にも過剰に反応したりします。
感じることは、生活に困るとか、困らないという理由だけで必要なのではありません。
何も趣味がない。
食べたり飲んだりすることぐらいしか楽しみってないって言う人がいました。
パニック症状のような症状でした。よくあるパターンです。
滅茶苦茶それで十分じゃないかと思います。
食べることが好きなら、細かく食レポするというのも一つの方法です。そんな人と交流するのも一つの手です。今はフェイスブックもあります。その気になれば交流することは昔よりずっと簡単だろうと思います。
どこまで言っても人間は感じることが主体になって生きています。
どれだけ理論武装したところで、人間の生活は、感情的です。効率をあげたところで、最後は雰囲気で生きています。
それを軽視するとしっぺ返しがきます。
感じることが少なくなったから、鬱症状の人が増えたんじゃないかとも思います。
何も感じない。
感じることを恐れている。
そんな人がいます。
食にも興味ない。車にも、異性にも・・・。
どんな陳腐に見えるものであっても思いっきり感じようとすると、結構色々感じられます。
感じ方を磨くというのは、見方を変えることで得られます。
感じ方を色々と変えてみると凄く感じやすくなるのです。
感じ方を変えないから同じ結果しかでません。
遊びは、一円のお金にもなりません。
逆に出費がいります。
投資がいります。
しかし、遊びで感じたい訳です。面白いと感じるのにお金を払う訳です。それは決して悪いことではないし、自分への投資です。
何を楽しいと感じるかは、人によっても違うし、時によっても違います。
感じ方を鍛える。
その為に人は遊ぶ。
次々と新しい発想を生み出す人って、遊びの天才です。遊びは、人と見方が違わなければ遊べません。同じものを同じように見ていては遊べません。遊びにマニュアルは必要ないし、そんなもの見ていたらいつまでたっても面白くはできません。
同じものを違うように見てこそ遊べる訳です。下手くそでいいんだと思います。
そして、それはどんなことでもいい。
蓄財したのなら、それに投資すれば、結構、精神症状がなくなったりしますよ。
きっと蓄財したから、精神症状が出たのかもわかりませんよ。
わかりませんけどね。
楽しいと思えることがあるというのは人間を豊かにします。どんな些細なことでも構わないのです。
お金をかける必要もありません。
今はグーグルの検索もできますしYouTubeもあります。ちょっと興味のあることを調べるのにお金かかりませんよ。間違いなく良い時代です。
それを生かすも殺すも自分次第です。
私が勉強会をしたいなと思うのは、そういう見方を変える人が増えて欲しいからです。人の意見や考えじゃなく、自分の見方を作ってこね回して欲しいからです。だから技術だけを教える訳ではありません。もちろん、それは勝手に技術になります。
それを蓄積したので吐き出したい。
だから勉強会をおこなっています。これからもっともっと吐き出していきます。蓄積したノウハウを搾り取って吐き出します。
だから人とは見方が違う。全然違います。だから楽しいはずです。
だから感じられます。
そこが大事です。
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