隣の庭



スウェーデンは、ロックダウンをせず、自由にさせていると言う報道があり、それを日本でも自粛反対派は、声高に言います。自然免疫獲得すべきと言います。


しかし、現実を見ると、確かにスウェーデンは死亡者数は多いです。人口は約1,022万人(2018年)で死者は、2000人ぐらいですから、比率としては日本より相当高いと思います。

もちろん、交通事故やインフルエンザの方が多いという人もいます。確かにそうです。


日本の人口が1億2千600万人程ですから、スウェーデンに比べて約12倍の人口ですよね。放置状態であれば、それぐらいの確率でお亡くなりになる方がいらっしゃる可能性があるということだと思います。もちろん、そうでないかもわかりません。

死因の中には原因が新型肺炎が原因だと断定できないような場合も確かにあると思います。しかし、調べたらウィルスが存在していたなら罹患していたことは事実です。死亡者がどんな経過をたどったかを知ることも科学的には大事だと思いますが、感染していた人が亡くなったというのは、事実だろうと思います。


スウェーデンでは、今、高齢者であっても、スーパーや農園に一人で出かける人もあり、混んでいれば地下鉄に乗らないなどの予防策を自分の判断でするそうです。

しかし、スウェーデン政府も、これだけ沢山の方が亡くなっている現実を見てロックダウンするかどうか迷っているという記事もリンクに貼ったとおりです。決して野放図にしている訳ではありません。

そりゃそうだと思います。


お亡くなりになる方が、高齢者や病弱な方だから、仕方がないと言い切れるかどうかですね。自己責任だと言い切れるかどうかです。病弱だったから仕方がないと言い切れるかどうかですね。ここは大きく国民性が問われるところだと思います。文化も歴史も国民性も全然違うのですから、日本人として育ってきた習慣を他国と同じようにできますか?


多分、それは日本人にとって、かなりハードルが高いと思います。それを強く思ったのは、志村けんが亡くなった時です。彼が病気がちで、他の病気で亡くなる可能性があった人であったことは間違いありません。それはわかっていたはずです。それでも新型肺炎の罹患を確認し、亡くなった時、どれだけの日本国民が悲しんだことでしょう。死因に全く無関係だと言えるかどうかもわかりません。

亡くなったことに対しての思いは、優しさだと捉えることはできないでしょうか?


一生懸命、人を喜ばせてきた人に対する尊敬の念なんじゃないかとも思います。そういうのを大事に考える国民性があるんじゃないかとも思えます。

医療に携わっていると、冷静な目で見る癖がついてしまうので、私も新型肺炎で亡くなったというより、基礎疾患があって肺炎でなくなったと考えてしまうのですが、国民の感情は、それとは大きく違います。冷静な目で見るだけが本当に正しいのかは、よくよく考えないといけません。


彼が亡くなったと報道された次の日、前日まで大混雑していたスーパーですら自然に自粛傾向になったと聞きました。高齢者で健康管理もできなくても、人の為に努力してきた人を尊敬し、愛していた訳です。そんな人が亡くなったら、悲しむ国民性があるのは事実です。

そういう国民感情がスウェーデンの人にあるかどうかはわかりませんが、この出来事の大きさは各国の国民性で対応は違うだろうなと思います。

例え有名人じゃなくても、自分の身内で一生懸命生きてきたことをわかっている人が、同じような境遇で亡くなったら、やっぱり嫌だし悲しいだろうと思います。埋葬も立ち会えないんですからね。

そんな身内を自業自得だと完全に言い切れるかどうかです。やっぱり、それは避けたいと言う気持ちがあるから自粛という道を国民全体がとったのだろうと思います。

法律の規制もなければ逮捕も罰金もないのにです。


アメリカに住んだ人は、やっぱり日本が良いと言う人も多いと聞きます。外に出てはじめてわかることが一杯あると言います。しかし、以前も投稿しましたが、国の歴史を研究しながら世界を旅した人から見ると、日本は、どこに行っても日本だと言うのです。アメリカの文化の影響をこれだけ受けているはずなのに、日本はどこに行ってもアメリカっぽくないのは驚くべき事実だと言います。

他の文化の影響を大きく受けた国とは思えないらしいです。


日本人は優柔不断と言う人もいますが、果たして、それは本当でしょうか?

周囲を見渡すと、確かにどこに行っても日本の景色です。日本にいると気づかないですが、そう言われれば、そうだと気づきます。ここに文化の違いと歴史の違いがあるのではないかと私は思っています。優柔不断に受け入れているように見えて、実はもの凄く自己主張の強い国民性なんだろうと思います。そして他に責任を転嫁せず、独自のものに変えて取り込んでしまうという独自性があるのではないかと思います。

アニメが世界で有名になったのも、日本人のそういう独自性があったからだと思います。元々引きこもりな国民性ですから、新しいものを取り込んで、改良し、更に新しいものに変えるのは得意ですからね。また、根本的に、人に対しての責任感が強く、それを一致団結して行える民族と言えるかもわかりません。

間違えないで欲しいのは、それを良い悪いと言っているのではありません。

同じ問題を解決するにしても、それぞれの国には、それぞれの国民性があると言うことです。そこに科学的なことだけを持ち出して良い悪いだけで決めつけるのは無理があるということだと思います。


患者さんを診ていると、そういうことがよくわかる時があります。科学的には、この方法が正しいと思えるものであっても、その人の境遇や歴史、考え方によって、医療のあり方は変わります。

例えば、食べ物に注意しなさい。栄養に注意しなさい。運動に注意しなさい。感情に注意しなさい。きっとよくなるからと思い、それを薦めようと思っても、聞く耳を持たない人は多いです。

誰の為?

って思うこともあるのですが、それを強要するのは医療の根本から外れるとも思っています。

やったら良いのに・・・。って思っても、それができない事情が一杯あるようにも思います。

正論は、必ず正論ではないということに、度々直面します。

それで悪くなってからジタバタしても仕方ないとも思えますが、そうせざるをえない何かがあるように思えてなりません。

人を見ていると、ホントに様々なことを感じ、勉強します。これは医学書には絶対に書いてありません。


割り切って考えたら、そんな非合理的なと思うかもわかりませんが、医療って本来は、非合理的だと思います。これはAIがどれだけ発達しても、なかなか対応は難しいだろうなと思います。

余程人間に近いAIを作らないと、非合理を理解できませんからね。

アメリカではAIによる診断というのは、実際にあるそうですが、診療を受けた人は、滅茶苦茶味気ないと言う評価もあるそうです。

なるほどな~って思います。医療のあり方の目に見えない大きな部分だと思います。


言わずとも日本の国の歴史は相当古いです。歴史があるということは、様々な条件から考えて一番良い選択肢をしてきた結果が国民性となった訳です。

なぜ、その歴史的に見て古い国民性を持っている日本人が他の国の真似をしなくてはならないのか理解に苦しみます。

日本は、他国にそれを強要したでしょうか?

してないですよね。強要はされ続けても、決して強要はしてないと思います。一人一人は、もの凄く弱い性質ですが、一致団結して、問題を解決しようとする思いは他国にはない文化だと思います。それが絶対に良いと言っている訳ではありません。今回の問題に対しては間違っていると言えるかもわかりません。しかし、そうせざるを得ない何かがあるとも思います。問題は、そう単純ではありません。


私自身は個人的には、国民全体がとった自粛に対して、もの凄く息苦しいものを感じています。しかし、それはあくまでも個人的な思いです。

ただ、そんな中でしか生まれないものがあるのは確かだと思います。自粛してみてわかったことが沢山あると思います。それによって物の見方が変わった人も多いと思います。

そんな日本社会に文句を言っている間に、この自粛を利用して、新しい自分を発見した人もいます。元々、それが得意な国民なのです。そして災害に強い国民であることは歴史から見ても間違いありません。それに気づいた多くの人が他国にはない新しい時代を作っていくのだと私は確信しています。

世界的な災難です。災難に慣れているからこそ起こす行動とも言えます。それを完璧に批判できるでしょうか?

私には、それはわかりません。


また、この騒動で明暗が大きくわかれることになるとも思っています。文句を言い続けたい人は、ずっと言い続けます。しかし、それも許される国です。不自由な中で、新しいことに挑戦する人もいます。どちらが良いとも思いません。ただ、自分はどうしたいのかです。

選択肢がないと思っているのは、自分が、そう思っているだけで、実はそうでないということに気づかないだけだとも思います。


私は、日本から出たこともないし、他県にも殆ど行ったことがありません。しかし、小さい世界の中で発見することは一杯あります。毎日、同じ道を犬を連れて散歩に行きますが、昨日は咲いていなかった花を今日は、見つけることができます。雑草であっても昨日と今日の花の色は違います。それにもの凄くビックリしますし感動もします。遠くへ行かなければ感動しないというのは嘘だなと知ってます。


無闇に沢山の世界を知ることではありません。同じものをどれだけ見方を変えられるかです。世界を旅しても絶対に、自分を見つけることはできません。自分は今ここにしかいないからです。そんな小さい世界で美を追求できる遺伝子を持っているはずです。他国の文化に惑わされることなく、それを見過ごさないでいて欲しいと願わずにはいられません。

そんな中で生活することが息苦しいと思ったり文句があると思ったら、是非、他国へ行くべきだと思います。きっと、どこに行っても、そんな人は何も変わらず文句ばかり言っているはずです。


鍼灸治療をやってますが中国に行ったこともなければ、日本ですら師匠についたことはありません。だから見る物は全て新鮮にうつります。自分から見て新しいことをやっている人を見ると、人以上に興味をそそられます。それでも、それを頭で理解する程、頭は良くないので、実感しないと納得しません。ただ受け入れることはできない性格なので、興味があったら、それを実感できる環境を作って自分に問題を課してきました。そして一つ一つを自分のものにしてきました。

長い間、そんなことをしていると、沢山のことを知っている人の前で、自分が考えてきたことを披露しても、何の遜色もなく感動してくれたりもします。私からするともの凄く不思議な現象です。


なぜ、人は、他人の生み出した知識を欲しがるのか?

他人の知識は他人のものです。それは自分のものではありません。他人の考えはヒントにはなりますが、なぜ、それを鵜呑みにして持論を展開してしまうのか?

もっと自分の中にある感覚を呼び覚まして、感じれば違う世界が見えてきます。

折角、日本人としての特殊性があるのに、それを生かさず、他の意見に賛同してしまうのか?

自分に目を向ければ、それだけで楽しいと思いますし、一を知って十を知ることができます。


折角こんな綺麗な国に住んで、美味しいものが沢山あって、文化も歴史も、入手しようと努力すれば自由に情報を入手できる自由な国なのに、何故、他の国が良いと思うのか全くわかりません。

自分が変われないから目に見えないんだろうなとも思います。


もっともっと、自分や自国に目を向けた方がいい。そして今こそ、自国に目を向ける最も良いチャンスだとも思います。自国にあって、自分の中にもある素敵な部分を見つけた方がいい。解釈の仕方で同じものは同じようには見えませんからね。自分の中にある素敵な部分を見つけようとしないと、人の良いところも見つけられないですからね。

もちろん、それも強要している訳ではありません。こんな状況でも楽しむ方法を提示しているだけです。他人の知識はどこまでいっても他人のものです。自分のものではありません。


私は日本が好きです。その気持ちを大切にしています。生まれ育った国ですからね。特に伊勢が好きです。だから、どこにも行かなかったんだと思います。もちろん若い時にはそんなふうに感じていませんでした。しかし、何かが違うと自分の心の中の自分が言っていました。だから外に出て行く勇気がない訳でもなんでもなく、伊勢に居てすることが一杯あったから出る必要もなかったんだなと思っています。


きっとアメリカ社会では、こういう気持ちを持っている人は文化的に許されないと思います。小さい世界の中で、一人遊びが許される日本という国に生まれて、見た目が自由に見える外国の方が良いと思ったら、是非外国で住むべきです。

その経験を通して、日本を批判すべきだと思います。

しかし、その時は、必ず私は言います。


内政干渉です。


そういう思いを日本国民全てが持っていていい。きっと滅茶苦茶自慢できる文化のはずですからね。

でも、日本人って、自分のことを自慢しない国民性です。それが美徳と考える国です。きっと、他の国には決して理解できないかもわかりませんが、そういう国民性があります。


日本は、本当の意味での歴史ある先進国ですよ。

私はそう思っています。


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