解剖学的肢位

足のつま先と手の平を身体の真正面になるように立つことを解剖学的肢位と呼んでいます。


この肢位をとると真正面という基準に沿って真っ直ぐです。しかし、脳が、この位置を真っ直ぐだと感じていないと違和感を感じます。脳の真っ直ぐ情報の感度を測る訳です。

余程、関節に変形でもない限り、真っ直ぐの位置は真っ直ぐだと感じていなければならないはずです。ここで断言しておかなけれならないのは、関節が曲がっているから、それを元の位置に戻すということではないということです。

関節は曲がっていても、その曲がっていることが、正常なら、それを否定する必要はありません。というより、それを否定すれば無理が生じます。


解剖学的肢位に近づけた時、どう感じるかがポイントです。

司令塔である脳が、解剖学的肢位をとった時、どんな位置情報を感じているかを観察することが必要があるということです。

真正面を向かせた時どう感じるかを素直に脳に記憶させる訳です。もし、真っ直ぐを真っ直ぐと感じていないとするなら、何が問題で真っ直ぐと感じていないのかを探る必要があります。


真っ直ぐなのに真っ直ぐでないとすると、それは真っ直ぐを勘違いしていることになります。真っ直ぐを勘違いしているということは、勘違いさせている何かがあるということです。何度も書きますが、真っ直ぐが良いと言っている訳ではありません。だから真っ直ぐに矯正する訳ではありません。


真っ直ぐの位置情報に問題がある訳ですから、物質を変えるのではなく、情報を変えるということです。そこで鍼灸の「気」という概念が役立ってくる訳です。 

真っ直ぐであればエネルギーロスは少なくてすむはずです。片足で100メートル走るのと、両足で100メートル走るのでは、正常な人でも身体の疲れ方が3倍以上は違うはずです。

左足が真っ直ぐを真っ直ぐと感じておらずに、開いているのが正常だと勘違いしていたら、日常生活をしているだけでも疲れは人以上に早く来ると言うことです。


前後左右上下が均一に使える身体を目指すというのは、バランスをとるという目的から考えても身体を楽にする一つの方法だと考えられます。 

それでも絶対に限界があります。「なくて七癖」ですから必ずその人の癖があります。

その為にも真っ直ぐを真っ直ぐだと脳に感じさせる必要がある訳です。また曲がっている場合は曲がっていると認識することが必要です。だから物理的には真っ直ぐである必要はありません。これが特長的な違いであり、変形したままでも何ら問題はないということになります。 




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