脳の情報を変える

脳と身体の情報を変える。

または認識することで、たとえ関節が曲がっていても、選択的により良い状態を作ることができます。つまり真っ直ぐである必要はないということです。


基準から外れているということを認識さえすれば、曲がっていても大丈夫ということです。

もちろん、アライメントがとれないことで起こる不具合はあると思いますが、それを認識さえしていれば修正は可能です。というか少なくとも痛みや症状は出ないか少なくなるということです。


東洋医学における「気」という概念は、それを脳に認識させるワザではないかと私は考えています。つまり情報を書きかえるということです。

外に開いた足を真っ直ぐと思っている脳に、実は、今は真っ直ぐではないという情報を与えて、真っ直ぐにすると、かなり内に閉じた感覚になり、内に閉じた感覚が真っ直ぐだと教えてあげれば、修正しようと脳は勝手に努力します。なんの努力も必要ありません。というか、努力をすれば逆効果です。


人はうしろから押されても簡単には転倒しませんよね。これは真っ直ぐ立つのが当たり前だと脳が知っているからに他なりません。小さい時からそれが当たり前だと脳を訓練してきた成果だとも言える訳です。


もちろん、こういうことを学術的に説明することは出来るはずですが、そんなことを説明できても、できなくても、その事実は変わりません。

逆に学術的な説明では説明がつかないようなことが起こることが多々あります。例えばウサインボルトは、側弯症であるのにもかかわらず、世界一速く走れます。

速く走る為には、効率よく走らなければ走れないはずです。曲がった背骨で首を傾けながら走る姿を見ていると、効率が良いというのはどういうことかと考えてしまいます。


正しいフォームとは何か?

というのも深く考えさせられます。


そこで、正しいというのは、その人にとっての正しさであって、正しいフォームは決まってないとも言える訳です。だから真っ直ぐをどう捉えるかが大事なのです。決して真っ直ぐが良い訳ではないということです。

逆説的に思えるかもわかりませんが、真っ直ぐしてみて、どれぐらい曲がっているかを知っている(脳に教える)作業が効率の良い自分なりのフォームを作り出す唯一の方法なのではないかとも思います。

これは何度説明しても、説明しきれないと思います。基準は大事ですが、基準が全てではないという考え方が幅をひろげる訳です。幅が広くないと物事を解決することにはなりません。

東洋医学の「気」の存在は、そこにあると私は考えています。

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