脳が修正しようとする時、自分はいません。
いわゆる自我と呼ばれる自分の「我」はそこにはありません。
「我」が存在すると脳は修正をやめます。
ホントにおかしなものです。
自分が意識しているのに、自分でない何かが、それを修正しようとするのです。
一生懸命頑張ると、脳は、ヘソ曲げるんでしょうね。私に任せとけばええのにって思うんじゃないかと思います。
きっと「あんたが頑張るんなら私の出る幕ないやん!!」って言っているのではないかと思います。
ただ認めて、その認めたことに集中していると、いつのまにか、勝手に修正されていくというのが脳の働きなのかもわかりません。
だから自分では何もすることがない。何かしようと思っているのに、自分は何もする必要がないということです。
そうしているうちに肩の力が抜けて、無駄な力を使わないようになってくる。
なかなか、その境地に達するのは難しいです。でも自分が何かをしている訳ではないので、自動的に事がすすんでいきます。
後から誰かに押されるようにして動いてしまう。
治療も治してやろうとか、治さなきゃという気持ちがあればあるほど治らない。
そこでジレンマが生じて、軋轢が起こり、それで疲弊してしまうことで余計に治らない。
相手に、なんで私の言うことを聞いてくれないのか?
特にこの思いは、術者を疲弊させ情熱を失います。
無理に治そうとするのではなく、治るものは治る。治るものだけ治るという方が余程正直です。
身体と向き合っていると、毎日、そんなことの繰り返しです。一瞬たりとも、それから目を離してはならない。
瞑想したら平穏になれるか?
なれないです。
なぜなら、瞑想をしているからです。そこには自分が存在しています。それでは一生瞑想しても、それは訪れない。まずは、瞑想したいと思ったら、瞑想しないことを覚えることです。
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