昨日の続きです。
その動きをよく観察すると、左の首や鎖骨から側胸部までの血管の異常反応がありました。
そこで、左側頸部と側胸部に手をかざしてみると、あきらかに左足の動きが良くなって、本人も違いを感じることができました。
もちろん、手をかざしただけで動きが良くなると思っていないので、最初はかなり戸惑っていました。
これが認識のテストです。何度も書きますが、認識できないものは治せません。その患者さんに対する説明が必要なのではなく、本人に自分の身体の状態を認識させることが治療にとっては重要です。
認識は、病能の説明以上に説得力があります。
例えば、腰痛は精神的なことが問題と言われても、痛いものは痛い訳で、もし、それが的外れな説明なら、良くなるものも良くなりません。というか、そんな説明を患者さんは求めていません。
治らない理由を説明されるより、治るキッカケをつくる認識をさせた方が余程効果的です。
この状態は、こうこうこうだから痛みが出ているんだと説明しても、それは術者側の納得であって、患者側の納得ではありません。
患者側は、些細な変化であって、実感を伴わないと納得はできません。
そこで血管系の反応を調整しました。
当然ですが、動きが良くなりました。歩行時も足が軽くなって、特に左が軽くなったと喜んでいました。調整時間は、数秒です。
数秒でも動きが良くなれば、どんな人でも納得します。それ以外のサービス鍼はいりません。
意外にも、このことを伝えても一番納得しないのが同業者である鍼灸師です。ホントになんでかなと思ってしまいます。
心臓から出た血管が腕や首の方へ流れる訳ですが、このあたりの何らかの炎症等の異常による機能障害だと判断できました。血管反応は、時々こういう筋肉の過緊張を引き起こし、それに伴って動きもぎこちなくなってしまうようです。
全く無関係に見える異常が、実は、その症状と大きく関係しているということがよくありますが、これを西洋医学的に説明せよ。と言われても結びつけることができません。
ストレスというものを主体にして考えていると、いつまでたっても心の問題だという焦点になってしまいます。
心は身体に反映します。というか心と身体は同一に扱うものでしょう。心だけを掘り出していくのは、そう簡単な作業ではありません。それより僅かな身体の変化の実感を起こさせてあげることです。ひとすじの希望は、自分を認知する最も有効な手段となるはずです。
効率の良い身体の動きは、心をも和ませます。そこでキッカケを作ることができれば、希望が持てます。心と身体をバラバラに考える方法は、術者の自己満足にはなりますが、患者側には向いてない。
そう思わざるを得ません。
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