試行錯誤を繰り返している時のエネルギーというのは想像以上に大きいものだと感じます。
目的が人の痛みをとったりすることだとすると、それは理屈より重要だと実感します。技術の高い人でも、試行錯誤のエネルギーがない状態の人と、技術のない人でも試行錯誤のエネルギーが高い人では全く効果が違います。
私が鍼灸師になり始めた頃、非常に手こずる患者さんを丁寧に注意深く治療した時の経験がありました。それが、あまりにも効果的だったので未熟な技術だったのにもかかわらず非常に感謝された事がありました。
これは私にとって、とても良い経験でした。その時のことは鮮明に覚えています。触った時の感覚や自分の意識の状態も明確です。しかし、それを長い間、思い出せなかったのだと最近気づきました。そんなことがあったという記憶はもちろんありました。衝撃的な出来事だったので忘れるはずがありません。しかし、どんな感覚でそうなったのかを思い出せませんでした。 しかし、長年、感覚を使った調整をし続けていると、何故かその時の触った感覚が蘇ってきて、その時の意識の状態も思い出すことができるようになってきました。
そして、その記憶は更に鮮明になってきたように思います。その人の身体に触る瞬間の感覚まで思い出すことができるようになりました。 身体で覚えたことは、記憶とは全く違うところで記憶しているのだなと実感します。それを理屈で解釈しようとすると、余計に遠のきます。どんどん違うものに置きかわってしまうようにも思います。
頭で理解すればするほど、その感覚を忘れてしまうのだと思います。 美味しいものは、どんな味だったかを分析すればする程、違うものになってしまう。味しいは、ただ美味しいのだなと思います。
意識を集中させて、診察すると、技術がないのを、すべてカバーし、更にそれを超えていくということがわかります。しかし、その当時は、その後非常に疲れて何もする気が起きないぐらいだったのを覚えています。きっと、無意識の自分が、そこでチャンネルを切り離し、こんなことを続けていたら自分が崩壊すると言う警告だったのだと思います。
ほとんどの人は、技術に頼ってしまい問題を解決できないのは自分の技術不足だと思い込んでしまうことが多いと思います。私は、この経験があったので単純に技術に走るということをしないで既存の技術の中で術者の意識を高めるということをやり続けてきました。
そうすると当たり前だった技術が常に新しいものに書き換わっていることに気がつきます。 技術を高めるというのはこういうことなんだろうなと思います。 基本的で単純なことを正確におこない、それをやり続ける。そんな非効率的なことと思うかもわかりませんが、それが技術を高める最大の方法だと今は言い切れます。
長年、それを信じてやり続けてきて良かったなと思います。遠回りをしましたが、この感覚は、言葉では言い表せませんが、言葉で、一つ一つ丁寧に解説することができるようになってきました。
そして、何をすべきかがわかってきました。技術をどれだけ学んでも納得しないと思われる術者は、是非この簡単な作業のくり返しをやって欲しいなと思います。
その為の準備はできています。言葉と感覚に変換して伝えることができます。
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